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◎時代に先駆けすぎると、世の中からは理解されない 『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より抜粋
◎時代に先駆けすぎると、世の中からは理解されない
武田: 私はいつも技術者にこう言っているんです。
「新しいことをやったら不遇になるよ。これは社会システムがそうだから仕方がない。他の人が少しずつやって、認識が高まってきた頃にのって、ちょうど爆発するくらいのときに、四十歳くらいになるといい」
ところが、人間にはいろいろいますから、新しいことを苦労しながらやった方が、毎日の生活に充実感が味わえる、そういう人生の方がいいという人もいるし、人の尻馬に乗るのが良いと言う人もいる。
人の尻馬に乗るためには少し自分の真を屈してやらなければならないから、その分だけは心理的に損はする。
タイミングとして、出来上がったときに担当すれば、ほとんど何の苦労もなく、尻馬だけに乗っていける。しかし、この場合は心理的に非常に苦しい思いをするから。つまり、自分の魂を屈しなければならないから、その分だけ鬱屈(うっくつ)するから夜は飲み屋に行って飲んで、ストレス解消しなければならなくなる。
すこし違う話で恐縮ですが、私は、学生に松下村塾の人たちを例に出すんです。たとえば、久坂玄瑞や高杉晋作など、第一列で出てくるのは、死なない例というのはまずない。
一番、功績は大きいし、立派な人物が多いけれど、全滅してしまう。ところが、第二列になると、ちょうど爆発するときに出てくる。たとえば伊藤博文や山縣有朋などのように、生き残って大きな実績が残せる。さらに、第三列では、名前はあまり知られない首相になったり、政府の要職に入る。そういうふうになるから、それをよく考えて、「計画を立てて、人生を送れよ」と言うのです。
宇井さんの論文を読んでも、彼のような第一列にいる人物に穏やかな発言を求めても無駄で、もし宇井さんが穏やかな発言をしていたら、ああいう革新はできなかったでしょうね。宇井さんの場合、維新の志士のように殺されはしなかったわけですが、社会的には長い間、ずっと東大の助手という不遇な立場に置かれていた。それはそれで、先駆的なことをやる人は不遇な立場に置かれるのは、世の中の対処としては仕方ないのかなと思います。
ですから、人生はそれはそれでもいいのではないか、自分のポジションをきちんと考えて、その人がそれなりの報われ方をすればそれでいいのではないか。
日下: まあ、たしかに時代に先駆けすぎると、世の中からは理解されにくい。
ブログ作者閑想 前日お話しした故牧正仁史先生が、まったく同じことを仰っていました。人よりも、自分は500年早く生まれすぎたと、実際、先生が仰った内容が、量子物理学者によって、論文化されているようにも見えます。
不肖わたくしも、連れ合いからは、ろくでもない人の影響を受けて、頭がおかしい、としきりに罵倒されています。いわんや、国家を案ずる人材が、その先見性を当時の『普通』の人間が判断できるはずもなく、理解されず、夭折していくのだと思うのです。でも、その屍があって、先人たちが切り開いた道の上を、普通の私たちが歩いていけるのではないでしょうか。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
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