進撃の巨人が好き!
はじめに
『進撃の巨人』という漫画をご存知でしょうか。巨人が人間を襲う過酷な世界で、人類が巨大な壁に囲まれて生活する物語です。僕はこの作品に魅了され、何度もページをめくってしまいます。その理由は、物語の深遠さやキャラクターの魅力だけでなく、主人公エレンの想いや行動に、僕自分自身の心情を重ね合わせることができるからです。
エレンが自由を求めた理由
エレンは幼少期から、壁の外の世界に強い憧れを抱いていました。巨大な壁に囲まれた世界は、巨人から人々を守る安全な場所である一方、彼にとっては自分たちを閉じ込める鳥かごのような存在でもありました。
壁の中の生活と人々の無関心
壁の内側はオーストラリアほどの広大な土地が広がり、人々は閉塞感を感じることなく生活していました。多くの大人たちは巨人の存在すら忘れ、日々の安定に浸りきっていました。彼らは巨人への対策を怠り、エレンの好奇心や危機感を抑え込もうとします。昼間から酒を飲み、巨人の脅威を軽視する姿勢に、エレンは苛立ちを覚えますが大人に相手にしてもらえません。
エレンの探求心と危機感
エレンは未知への探求心と、外の世界への強い憧れを捨てることができませんでした。彼は壁の中での安定が一瞬で崩れ去る脆さを本能的に感じ取り、それに対する危機感が彼の自由への渇望を一層強めます。周囲の無関心さに苛立ちながらも、「自分の手で外の世界を見る」という強い意志が、彼を突き動かしていました。
シガンシナ区の悲劇と決意
巨人の襲撃と安定の崩壊
物語は、三重構造の壁の最も外側が超大型巨人によって破壊される衝撃的な出来事から動き出します。エレンの故郷であるシガンシナ区もその被害を受け、彼の目の前で母親が巨人に捕食されるという、悲劇が起こります。この出来事は、彼の心に深い傷と、巨人への強烈な憎しみを刻み込むことになります。
食糧難と人々の苦境
この襲撃により、人類は食糧生産地の多くを失い、総人口125万人のうち25万人が食糧難によって前線へと送り出されます。これは事実上の強制的な死を意味します。人々が信じていた安定は脆くも崩れ去り、その幻想が打ち砕かれたのです。
調査兵団への入団
エレンはこの悲劇を機に、壁の外を調査し巨人の謎を解明しようとする調査兵団への入団を決意します。彼らは壁内の人々から「無謀だ」「コストの無駄使いだ」と嘲笑され、理解されませんでした。それでもエレンは、自分の信じる自由と未来のために、危険を顧みず壁の外への挑戦を選び取ります。
未来を見る能力と孤独な戦い
壁の外の真実と新たな敵
物語が進むにつれて、エレンは「進撃の巨人」の能力を継承し、未来の一部を垣間見ることができるようになります。そして、自分たちの世界が全てではなく、壁の外には高度な文明を持つ社会が存在し、自分たちが「巨人に変身する悪魔の末裔」として忌み嫌われていることを知ります。
理解されない行動と葛藤
この苛酷な真実を知ったエレンは、同胞が直面する深刻な危機を予見します。外の世界からの敵意と、自分たちが生き残るための道を模索する中で、彼は孤独な戦いを強いられます。彼の行動は過激であり、仲間たちからも「もうやめよう」「昔のエレンに戻ってほしい」と言われ、理解されないことに深い苦悩を抱えます。それでも彼は、「自分がやらなければ未来は変えられない」という強い信念のもと、前進し続けます。
共感部分
僕が感じる「壁」とは
エレンの姿を見ていると、僕自身の状況と重なる部分が多くあります(規模感は全く違いますが)。僕は会社員として安定した生活を送っていますが、その一方で「壁」の外に広がる世界に強い興味を抱いています。副業として喫茶店を経営し、法人の代表を務める中で、これまで知らなかった多様な生き方や、広い世界が存在することを知りました。それはまさに、壁の外に広がる文明を知ってしまったエレンのような心境でした。
AIという「超大型巨人」の脅威
現代社会において、AIという「超大型巨人」が出現し、特にホワイトカラーの職業が自動化の波にさらされています。僕たちの職業が機械に取って代わられるリスクが高まる中、多くの人々はその危機感に目を向けず、「どうしようもない」と諦めています。この状況は、壁の中で安定に浸り、巨人の脅威を忘れていた人々の姿と重なります。25万人が強制的に前線に送り出されたように、私たちもまた予期せぬ変化に直面する可能性があり、多くのホワイトカラーの仕事は自動化され給与減・肉体労働への転換を余儀なくされると思います。
「兼業集団」の立ち上げと挑戦
僕は「兼業集団」を立ち上げ、副業や新しいスキルの習得を通じて、新たな生き方を模索しています。これはまさに『進撃の巨人』でいう「調査兵団」のような存在です。しかし、彼らも多くの時間や資源を投じても成果が見えないことがあり、未来が不透明になる瞬間もあります。その状態で取り組みを周囲に理解してもらうのは容易ではありません。仲間からは「もっと緩くやろうよ」「コストがもったいない」と言われ、挑戦を止めようとする声もあるのが実態です。このような反応は、エレンが感じた孤独や葛藤、苛立ちと類似している気がします。でも、彼らの言葉に対して反論の余地はなく、それを受け入れざるを得ないのです。
理解されない挑戦と孤独な戦い
周囲の無理解とエレンの孤独
エレンは、自分だけが見た未来と危機感を抱えながら、周囲にそれを伝える難しさと戦っていました。彼の行動は理解されず、時には敵視されることもあります。仲間からも「もうやめときな」「よくやったよ」と言われ、それでも彼は前に進むことを選びます。エレンの心の中には、「自分がやらなければ誰もやらない」という強い使命感と、理解されない孤独が渦巻いていたことでしょう。
僕自身の葛藤と決意
僕もまた、挑戦の中で、周囲からの理解を得られずに孤独を感じることがあります。会社員で何もしないでいる危機感や壁外の視点を共有しようとしても、「なぜリスクを冒すのか」「現状で十分ではないか」といった反応が返ってきます。このもどかしさや孤独感は、エレンが抱えていたものと重なります。それでも僕は、「この1年はやりきる」と決めています。性分的にもエレンのように数年に渡って粘り強くできるタイプではないからです。
おわりに
『進撃の巨人』は、人間の自由への渇望、未知の世界への探求心、そして理解されない中での孤独な戦いを深く描いた作品です。たまーに、全て投げ捨てたくなりますがエレン・イェーガーの姿勢や行動力は、僕たちが日常で感じる「壁」を乗り越えるための大きな勇気とヒントを与えてくれます。
余談ですが非常に心理的な描写がうまいんです。
例えば…↓のシーンとか分かりますかね。
エレンの母親が死ぬ直前自分が逃した息子から目を背けます。これって本当は息子を見たいけど目を合わせながら死んでしまうとトラウマを植え付けてしまう…という母親なりの配慮なんですね。これを当時23歳?とかで書いてしまう諫山先生の奇人ぶり。