介護、色即是空の教えが必要だったのは母ではなく僕だった
母は脳梗塞を患い、左半身麻痺になった。
祖父、祖母の介護を行ってきた母は、まさか自分が脳梗塞にかかり、介護される側になるなんて夢にも思わなかっただろう。今の状態をとても悲しんでいる。「こんな生活には夢も希望もない、早う死んだほうがええ」たまにそんなことを口にする。
母はもう74歳だ、問題が起きたのは4年前だ。一人息子を育て、自営の父を支え続けてきた。余生の生活に十分な蓄えもでき、父とのんびり旅行したり、たまに帰ってくる息子夫婦や孫たちと会ったり、そんな平和な暮らしの中、突然ふりかかってきた災難。「真面目に正直に一生懸命生きてきたのに、なんで車椅子なのか?この世には神も仏もおりやあせん」そんな気持ちではなかろうか。
そんな母を父と二人で介護して半年が経つ。それまでの3年間、父は一人で母の介護をやってきた。ただ歳には勝てないようで「介護疲れでワシが倒れてしまう」と言うようになり、たまたま肩を打撲し立ち上がりの補助が思うようにできなくなったため、母を介護施設へあずけると言いだした。突然のことでびっくりしたが、自分が実家に戻って介護を手伝うから、もう少し母には家で過ごしてもらわないかと持ちかけた。そして母、父、息子の3人の生活が始まった。
それから9ヶ月。オムツはしているがトイレの習慣は戻り、デイサービスやショートステイにお世話になりながらだが、3人での生活ができている。ただ母の心の中にはまだ、左半身麻痺になってしまったことを不条理だと思う気持ちがあると感じていた。
般若心経の中に、色即是空という言葉がある。目に見える全てのものについて、今の状態がいいからといって調子に乗ったり、悪いからといって悲しむ必要はない。未来永劫その状態が続くことはないから。一時の状態に慌てず、静かに、あるがままに、受けとめればいい…この色即是空の心を母が持てれば、苦しみから開放されるのではないかと考えた。
もともと法事では、みんなが集まり般若心経を唱えていて、母も空で唱えることができる。意味を知らないのはもったいない。youtube の解説を見せ、御経を聞かせた、解説本を図書館から借りて母の前に置いてみた。しかし「意味なんか知らんでもええの!それはお坊さんが知っときゃあええ!」とまったくよせつけない。
ところが、いや母はそのままだが、私が変わってきた。私はこれまで母のトイレや、リハビリで一喜一憂していた。私が色即是空でなかったのだ。母に伝えようと般若心経を自分なりに理解したところ、母に対してフラットな気持ちで接することができるようになった。母の状態をいちいち気にすることがなくなり、楽になれた。母の心も柔らかくなってきたように感じる。色即是空の教えが必要だったのは母ではなく僕だった。
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