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爺ちゃんのバーバリー

岐阜に住んでいた父方の爺ちゃんが死んだのが去年の暮れで、葬式から半年以上経っても家の整理ができない婆ちゃん。

もう着る人のいないオーダーメイドのスーツや、読む人のいない日焼けした本、一時期凝っていたカメラや囲碁盤やら碁石やらその他諸々。
家の階段が急すぎるってのもあるし、物が多すぎるってものあるし、家の整理の前に心の整理がついていないってのもある。自分の半身だった夫が急にいなくなって、自分の足で立つだけのバランス感覚がなくなっているのかもしれない。とくかく、片付けられない婆ちゃん。

捨てなきゃ捨てないでいい気もする。が、モノがそこにあると、持ち主がセットになってそこに居るように想起させられる。けど、その持ち主はこの世にはいなくて、そのギャップ、一種裏切り。による落胆。が、日々婆ちゃんの体力を吸い取っていってるのかも、という想像。(直接婆ちゃんに聞いたわけじゃない。一連、単なる孫の想像。)

今年、僕の父(婆ちゃんから見るところの息子。長男。)、母(その妻)、僕の弟(その子供=孫)は岐阜の婆ちゃんの家を訪ねた。盆と抱き合わせの遺品整理だ。

僕は東京で一人暮らし、仕事の都合で岐阜には行けなかった。せっかくの初盆なのだから、線香の一つでも上げたかったが、これが資本主義。労働者階級の身を恨むばかり。

時間をとって岐阜には帰れなかったが、先週の土日、僕は実家の千葉に帰った。最寄駅まで車で迎えにくる母。車に乗ると、後部座席にいくつもヒネリと目盛がついた広辞苑机上版ほどの大きさの鉄の箱が鎮座してある。
「これ何?」
「無線だって」
「無線?」
「うん、爺ちゃんがハマってたんだって。なんか高そうだから捨てらんなくて、持って帰ってきたの。せっかく岐阜まで行ったのに、結局なんだかんだ処分できなくって、ほとんど持って帰ってきちゃった。」

”ほとんど”、”持って帰って”、”きちゃった”・・・・

曰く、捨てるに捨てられず、病むに止まれず遺品をそっくりそのまま千葉まで持って帰ってきたんだそうな。

家に着く。

僕の家は3兄弟に対して子供部屋が2つしか用意されておらず、長男の僕は南の部屋、次男は北の部屋、当時まだ物心ついてない三男は両親と同じ寝室で寝ていた。僕が実家を出ると、スライドして南の部屋が三男の自室となり、次男が家を出るとそこは空室、結果的に物置となった。

現・物置部屋と化したその部屋は、空気が淀みやすく、カビも生えやすく、おまけに隙間風がなかなか堪える、ある意味物置部屋にはぴったりの部屋だった。

扉を開けると、眼前に段ボール段ボール段ボール+カビ臭さ+埃。

大量のカメラ、フィルム、その他諸々用途不明のアイテムが無造作にぶち込まれたダンボールが、子供机の下に無理やり押し込まれているのが見える。

部屋の中央部に置かれた箱には、アルバムが何枚も積まれ、底の方にはアルバムに入りきらなかった写真群が、まるで緩衝材のように敷き詰められている。

あと、なぜか新品のスーツケースが二台転がってる。なぜ二つも買ったのか、なぜ新品のままなのか。死人に口無し、真相は藪の中。

写真の山の中から一枚手に取る。

見覚えのある、でも誰だかはっきりしない男女がこっちを見ている。
脳が画像を処理することコンマ3秒。若かりし頃の爺ちゃん婆ちゃんだ。
婆ちゃんの胸には赤ん坊、生まれて間もない父が抱かれていた。

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モノクロの風合いといい、構図の巧みさといい、被写体のスタイルといい。
昭和の名画を思わせる一枚。
小津だ。小津安二郎のワンシーンだ。
昭和の、飾り気のない、生活の中に立ち現れる、静かな幸福の渋み。
写真に映るじいちゃんは、スラッとして、どこかニヒルで、影のある笑みをこぼしている。銀幕スターの立ち姿。

僕の記憶の中のじいちゃんは、朝は縁側に座って、寂しい背中を丸めながら朝刊を一巡。昼は眉間にしわ寄せ、険しい顔で碁盤を睨み付ける。夜になると、日本酒をあおり、顔を真っ赤にしながら、親父ギャグを乱発し、トイレに立つときは必ず演歌を口ずさむ。そんな掴みどころのない人だった。

写真の中の爺ちゃんは、僕の中の爺ちゃんとは全く別人で、でも確実に一続きの人生を歩んできた一個人間で、その矛盾にまず驚き、次に面白さと喜びと寂しさと後悔が津波のように押し寄せてきた。

僕は爺ちゃんのこと、何にも知っちゃいなかったんだ。
ということを、死後、やっとこさ気付く。

部屋を見渡すと、カーテンレール、本棚のヘリ、襖の長押、壁中の出っ張りという出っ張りには防虫カバー付のハンガーが所狭しとかかっている。

足元には封がしたままのダンボールが寂しそうにこっちを見ている。
まずは足元のこいつから手を付ける。ガムテープをめくって箱を開けると、大量の服。

前置き長くなったが、ここで主題。爺ちゃんのバーバリーだ。

代名詞のバーバリーチェックが前面にあしらわれた半袖シャツ。
胸ポケットにこっそりロゴのホースマークがあしらわれた上品なチェックシャツ。
裏地からバーバリーチェックが覗く遊びの効いたブルゾン。
他にもセーター、カーディガン、ポロシャツ、等々々・・・
次から次へとバーバリーのアイテムが出てくる。しかも、丁寧に着られていたのか、状態は抜群。サイズ感も完璧。

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俺の爺ちゃん、こんなにオシャレさんだったのか。

次に、壁にかかっていたハンガーを下ろす。恐る恐る防虫シートのジッパーをあげると。

失禁しそうになった。

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バーバリーのハンガーにかかった、バーバリーのチェスターコート。
写真で分かるだろうか、この高級感。
光の加減によっては少し赤みがかった黒に表情を変え、触り心地は雲のような柔らかさ。タグを見るとカシミヤ100%。

さらに注目していただきたいのが裏地のこの部分。

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ご丁寧に吉田の名前入り。吉田しか着ることのできない一着。

吉田家長男、皇位継承順位一位、次期当主、吉田裕太。
当主になった暁には、この一着を家宝に定める。
弟たちと骨肉の継承権争いが起こらないことを祈るばかりだ。

コートを羽織ると、生地の重みが両肩にストンと落ちてくる。それなのに、体を捻って裾を翻すと羽衣のような軽さ。亡き爺ちゃんの、生前の人生の重みと、死後の霊魂の軽みを同時に感じる。

少し爺ちゃんのことが分かった気がする。

鏡を見ると、まだ顔が幼い。コートはかっこいいし、サイズもバッチリだけど、僕自身がコートに追いついていない感じ。
爺ちゃんなら、もっと着こなしていたんだろうなぁ。

長々書いてしまったが、結論この文章全体、自慢であろう。

単純な出来事としては、突然ハイブランドの服が大量に空から降ってきたということでしかない。それは無味乾燥に言えば遺産相続だし、悪意を持って言えば、墓泥棒だし、箱を開けては次々服を我ものにする様は、追剥的な俗悪さもあろう。

しかし、最も声を大にして伝えたいこと。
それは僕の爺ちゃんが、元銀行員で、岐阜の片田舎で静かに暮らし、世間一般で見れば平々凡々な起伏に乏しい人生を歩んだと言えるであろう一小市民、我が愛すべき爺ちゃんは実は最高にオシャレでカッコいい人だったということである。

来週、僕は婆ちゃんが一人暮らす岐阜に行く。
少し遅めの盆参りだ。
コートを着るには少し早い。爺ちゃんから貰ったシャツとカーディガンを着て行こうか。

果たして、ちゃんと着こなせるだろうか。

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