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オタクを辞めたオタク:その後

オタクを辞めて早数週間。
あんなにも生活の中心にあったものがなくなり、どんなつまらない日々かと思えば、案外、快適な時間を過ごしています。

一番大きな影響はSNSを開く頻度と時間が圧ッッッ倒的に減ったことでしょうか。

オタク生活をしていたころは四六時中SNSをチェックし…… SNSというのはまあ1度開けば見てしまうものですから、比べるのも甚だしいかわいい女の子を見てしまって自己肯定感も下がり、オタクのレポを見てモヤモヤしたり…… と生産性のない時間をループしていました。

やはり、推しの前ではかわいい女の子でいたいという気持ちが余計とそうさせていたのかもしれません。

でも頑張ったところでそのかわいい女の子になれるわけではないです。その現実とのギャップでまた心が荒むのです。

するとどうなりますか?人相が悪くなるんです。
常に人の粗を探し、自分と比べたり見定めたり……(←最低)
口に出していたわけではありませんが、どこかで周りを蔑み自分を守っていました。

かわいくありたいと願うほど、逆走しているような気分でした。

そんな不健康な心の状態で推しにあったところで、どんなに取り繕ったところでやはり溢れ出てるんですよね。相手も人間ですから、気づきます。完全に負のループです。
でもこの感情全部の根底には推しが好きというなんとも純粋な気持ちがあるわけです。
なんだか矛盾してますよね。


心の余裕だけではありません。
金銭感覚も狂っていたことに気付かされました。

数万のiPadは何年悩んでるの?ってくらい買えないのに2万のコンサートチケットはすっと2公演買ってしまう。不思議ですねぇ(笑)
オタクとはそういうものなのでしょう。

何か買うときもこれはCD何枚分だなとか換算してしまっている時点で狂ってましたね。
日本円で日本円のものを買うのになぜか一度CDに置き換えてしまう、オタクを辞めたから言えますが、病気です完全に。

とかいうわたしは自分に課金するのもいいなと思い、英会話アプリに課金しました。
知識は一生の財産ですし、裏切るのも裏切られるのも自分ですしね。

どんなに推しを応援していても、彼らが辞めると言ってしまえば、こちらからは寂しいと声をあげ、見守ることしかできないのです。
そう思うと自分に課金というのはなかなかコスパのいい手段だななんて思っています。
趣味と自分で、そもそも比べるに値するものかは疑問ですが……

あんなにオタクであったときは怖がっていた“推しを応援していない日々”は案外快適です。
最近わたしはやってみたかったことに手をつけまくっています(はたして収集がつくのか……神のみぞ知る……)。

まだこうやって比べている時点で振り切れていないのかななんて思ったり……しますが、時間が解決してくれると願って……

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