マーケティングよもやま話 Z世代のコミュニティコスパ感覚
こんにちは!
最近「若者たちのニューノーマル」という本を読みまして。
この本はいわゆる2000年前後に生まれたZ世代を解説する内容となっています。読書録はまた今度書きます。
私は昨年30歳になりました。Z世代というとまるっと一世代(10年)離れているわけです。そうするとびっくりするぐらい考えがちがうんですね。
書籍内から少し拾いますが、多感な時期に東日本大震災を経験し、SNSから流入するワールドワイドな情報で世界的な環境意識の高まりに接していますのでそれらに対する意識が非常に高いということ。
また、SNSを通じた事件であるとか大学生の麻薬犯罪件数が4倍に増えているといったところで信頼できるコミュニティへの強い仲間意識を持っていることが上げられます。
タイトルに付けたコミュニティコスパ感覚というのもまさにそういうところを受けた発想です。
コストパフォーマンス意識
コスパ(コストパフォーマンス)自体は、言葉そのものがあってもなくても従来から意識されてきた概念です。
私の体感ですが、私よりふた周りくらい上の世代は自身と自身が所属するコミュニティの利益を重視してコスパを判断してきたように思います。会社や親戚筋、ムラといったところがコミュニティに当たります。この中でメリットがあればそれで良しでした。
その下から私くらいまでの世代はバブル後の長引く不景気のもとで、好景気だった時期を知らない世代として自分にとってのコスパを追求してきたように思います。それはまだまだ物的な豊かさが消費の中心でした。
Z世代のコスパ
そしてZ世代。
Z世代はワールドワイドな横のコミュニティ感覚と次世代以降への縦のコミュニティ感覚、そして自分がリアルに所属するコミュニティの3つの利益を考慮に入れた消費活動が行われているように思います。
Z世代のコスパ軸の1つ目は環境への対策や企業モラルの有無といった地球の一員、社会の一員として責任を果たしているかというところ。
Z世代が消費活動をするときに、その消費対象が環境に対する取り組みをしているか、環境へのダメージが少ないかを検討要素に入れると言います。
これは当人たちに意識されてるかは別に、横と縦のコミュニティ意識のもとに自分ごととして地球環境を捉えていることの証ではないでしょうか。
なので、環境に悪いものを消費するときに微弱な嫌悪感や罪悪感が生じるのではないかと思います。
嫌悪感をいうのであれば、モラルが無いとされる企業の商品はより選ばれないでしょう。このコミュニティ感覚は次世代につながる持続可能性を軸に持ってますから、人を消耗するブラック企業・環境を消費する企業というものは忌避されていくと予想します。
補足として、「若者たちのニューノーマル」ではワイドなコスパ感覚として消費財の選択傾向が挙げられていました。
ものを選ぶ際も修理しながらも長く使っていける高級品か、そうでなければ短期間で使えなくなる安価なものかといった感じに中間が選ばれなくなってきているそうです。
コミュニティコスパ感覚とは「コミュニティに所属する自分」へのコスパ
また一方でリアルコミュニティに関してはコミュニティにおける仲間意識の強さとともに、Z世代は役割意識・キャラ付けも強く持っているとされています。
上述の環境・モラルへの対策を踏まえつつ、コミュニティにおける役割意識、キャラ付けに役立つことがコストパフォーマンスの基軸となります。
SNSが子供の頃からありますから所属するコミュニティも多彩で、コミュニティごとに顔を使い分けているイメージです。
例えば、華やかなコミュニティに所属して自分も華やかな一員であればその様に振る舞いますが、家では節約してるとか。
これは映える日、映えない日で消費が全く違うという2018年のアプリマーケティング研究所の情報に一致する側面かと思います。
ただし、この情報に関しては、コロナ禍を通じて見栄の側面は減ってきているんじゃないかと予想しています。20歳前後の人の多くが苦しい状況に置かれていることは周知のことですから。
まとめ
Z世代はワールドワイドな地球環境や社会問題に対して自分事の意識が強いので、緩やかでありながらも長大な横のコミュニティ感覚と次世代への責任感にも似た縦のコミュニティ感覚があって、そのコミュニティを裏切るような行動は取りづらい。
また、リアルに所属するコミュニティでは相互の役割意識が強く、気遣いが求められる。役割に沿った消費を自身も欲している。
こんな感じでしょうか。
「若者たちのニューノーマル」をベースに想像を膨らませました。内容の保証はありませんのであしからず。