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朝という死

菅原一言という人物がいた。

一言と書き「ゆいち」と読むらしい。何ともおかしな名前だ。

石彫りをしている。大変物静かな男であった。


畳張りの書斎は、縁側が開け放たれているものの景色を楽しむようには造られていない。

通り沿いであり人の行き交うのが間近。出入りも多い。

菅原という男、大変寡黙で物静かな男である。

しかし不思議と人好きのする人物らしく、訪ねてくる者が絶えない。

乱雑な書斎は、だが物自体が少ないのかひどく散らかってるといった印象は無い。


文箱が出してある。

どうやら大切な手紙あるいは書類を眺めるのが日課らしい。


私はこの男に出会うなりすっかり惚れてしまった。いわゆる一目惚れだ。それと同時に、直感的に叶わぬことも悟っていた。

というのも菅原という男、想い人がいる。

恋人だったか片恋であったか、生きているのか死んだのかも分からぬ相手だ。

ただ強烈な思慕が消えぬまま廃人のように現し世を生きている男だ。

思慕でもって石を彫っている。

石彫りとしてはかなり腕が立つようで、訪ね人はどうやらその筋が多いらしい。


恋慕の情で入り浸るのは私だけのようだ。

菅原はそんな私を受け入れるともなく受け入れ、追い出す様子が無い。

ただ、こちらに向ける視線は虚を刺すようである。

鋭いながらこちらを見ていない。瞳の中に件の女がちらつくようでクラクラする。



菅原は、私のかつての恋人の姿をした男だ。
物静かで博識、器用ながら、情念の強い男だった。
そのかつての恋人に強烈な思慕を抱くのは、むしろ私の方であった。




砂利を口いっぱいに詰め込まれたような感覚がある。吐き出しても吐き出しても細かい粒が残りジャリジャリという。




書斎の真ん中には生きてるともつかぬ女が置かれていた。胴だけの女だ。出目金のように眼をぎょろりと動かすだけの女だ。

その眼でこちらを見る。

感情は読めない。人なのか物なのかも定かではない。

これが何なのかついにはわからずじまい。

赤子の掌のような紅葉が散り始める時期のことだった。




そんな夢を見たよ。

菅原一言なんて、いませんよ。

ジャリジャリした感覚だけが口に残って不快。


おはよ。





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