「愛」するということ
縄文時代には「愛」という言葉はなかったと言われている。
それはなぜか?
みんな、「愛」のある状態が当たり前だったからだろうか?
それは空気と同じだ。
空気は普通に、当たり前にある。
だから普段は空気はまったく意識せず、気にもしていない。
しかし、いったん水の中に深く潜って苦しくなった時、狂おしいほど空気を
意識する。
空気のためなら、全財産だって投げ出すかもしれないね。
このように失った時、人は初めて意識する。
現代は「愛」という言葉だけが、バーゲンセールのように使われている。
それは「愛」が希薄になったからなのだろうか。
あらためて、「愛」という言葉を意識しながら、以下を読んでみてほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「心のチキンスープ」 エリック=バターワ―ス
ある大学で社会学を学ぶ学生たちが、ボルチモアのスラム街に住む少年200人を対象に、ひとりひとりの家庭環境と生い立ちを調査しました。
そしてこの調査結果をもとに少年たちの将来性についてのレポートを作成しました。
するとどの学生も、これらの少年たちには何の将来も期待できないだろうと書いたのでした。
それから25年後のこと、ある社会学の教授がこのときの調査結果を見つけ、当時の少年たちがその後どうなったか学生に調べさせました。
ところが、引っ越したりした20人を除いた180人のうち、何と176人が弁護士や医者、またはビジネスマンとして人並み以上の成功をおさめていることがわかったのです。
教授はこの報告に大変驚くと共に、興味をそそられ、さらに詳しく調べることにしました。
幸い、調査対象になった人たちはまだその地域に住んでいたので、
教授は自らひとりひとりに会いに出かけ、こう質問したのです。
「あなたを成功に導いたものは何だったのですか?」
すると、誰もが感慨をこめて、ある先生の名前を挙げたのでした。
教授はまだ健在だというその女の先生にぜひ会いたいと思い、訪ねていきました。
そして、年はとっていても、しゃんとしたその先生に、こう尋ねたのです。
「スラム街からあんなに大勢の成功者が出るなんて驚きました。
あなたは、一体どんな魔法を使ったんです?」
その先生はパッと顔を輝かせ、口元に微笑を浮かべると、こう答えたのでした。
「とても簡単なことです。私は生徒達を愛したのです」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
心理学では愛することを 「受容=受け入れる」と言う。
また、「赦(ゆる)す」とも言うし、「信じる」とも置き換えられる。
この先生は、生徒を愛し、その可能性を信じた。
おそらく
先生の生徒に対する対応は・・・
その時の「言葉」は愛にあふれ
その時の「瞳」は慈愛に満ち
その時の「声」はとけるほどの優しさだったのだろう
それが多くの生徒の乾いた心に、深く深くしみ込んでいった。
そう、人はそれだけで再生できる。
愛し、信じていれば。
私たちは「あるがままの自分」を赦せているだろうか?
そのままの自分を信じているだろうか?
もっと勉強ができる自分じゃないと!
もっと数字を上げる自分じゃないと!
もっと稼げる自分じゃないと・・・
もっと
もっと
もっと・・・
そこにゴールはなくて、永遠に満たされることもない。
時々でいいから
「これも自分なんだ!」
「これでいいんだ!」と、自分に優しく声をかけてみよう。
「私って意外とやるじゃん!」
「結構、いけているよね」と。
そう、これからはどんな自分も、自分自身で愛してやればいい。
だって、世界に一人しかいないんだから!
さあ、今からさっそく始めてみよう!
会長 稲井英人