自分の未来は自分で決める。金脈はすぐそこだ!
「占い」というのと「統計学」というのでは、言葉の使い方だけでまったくイメージが違うね。
私は、ISD個性心理学という統計学のマスターインストラクターなんだけど、人をいろんな角度から分析すると本当に面白い。
バースデーサイエンス・・・この響きは心地よい。「〇年〇月〇日生まれの人はこういう傾向にある」という分析も、何かイメージが違う世界のものに感じられるね。
三国志時代の名将、諸葛孔明なんかもこういったものを活用していた。時には天文学を活用して戦をしていたようだ。
奥が深いよね。
私は、ふり返ると延べ3000人以上観てきた。その経験からすると、大まかにはある一定の法則がある。
簡単に言うと、運のいい人はその星の流れ、というかリズムに乗って生きている人が多い。これはビル・ゲイツにしても、スティーブ・ジョブズにしてもそうだった。
これは偶然なのか、必然なのか???と問われれば、私はこう答える。
「初めから決まっているようだよ!」と。
そして、それを信じて任せると、結構うまくいくことが多い。
結果的には、ね。
さて本日は、歴代の宰相・財界の指導者たちが競って師事した東洋思想の第一人者「安岡正篤」先生から学ぼう
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易というものは、民族が極めて長い歳月を通じて得た統計学的研究とその解説と申して間違いありません。
しかし、易といえば占うものだと考えておるのは、それはまだ易学を知っておらぬからでありまして、本当に易学を知れば、占うということはいらなくなります。
易の六十四卦(け)というものがほんとうにわかったら、自分の頭で判断して、自分で決定ができます。六十四卦の中に、「水風井(すいふうせい)」という卦があります。
「水風井」とは、物事が行き詰まり苦しくなった場合の答えが、「井」の卦であります。
行き詰って、どうにもならないときには、その事業、生活、人物そのものを掘り下げるより他によい方法がありません。
たとえば、井戸を掘りますと、初めはもちろん泥でありますが、それを掘り進めますと泥水が湧き出します。それを屈せず深く掘り下げると滾々(こんこん)として尽きない清水、水脈につきあたります。
これが「井」の卦であります。
このように、困ったときには、いくら条件を並べて、よい方法がないかと探しても無駄であります。
自己を堀りさげるより他によい方法はありません。
本当によく反省し、修養すれば必ず無限なもの、滾々(こんこん)として尽きない水脈につきあたる、そうなると無限にこれを汲み上げることができるのであります。
『易と人生哲学』致知出版 安岡正篤
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どんな難問に当たろうとも、上記の境地に達すれば、己の直観とつながりヒラメキとともに名答が・・・浮かぶのであろうか?
しかし、これもある程度の経験をすると、分かるようになるのだろう。
すべての分野にではないが、ある一定の分野に集中し、全身全霊を賭けた経験がある人は同意するのではないだろうか?
我々は往々にして、物事に行き詰って、苦しくなるとジタバタして、占いや数秘術などに頼ってすぐ心を奪われて方角にこだわったりする。
迷ったり苦しいときは、なおさらだ。
そんな時に限って、安易に儲かりそうな商売を探したり、怪しげな話に乗ってしまったりする・・・。
生半可な学びは、逆にそれらによってさらに学びが深くなるとも言われる。かなりきつい経験ではあるが、それがあるからこそ、今がある!ということだろう。
困ったときこそ、自ら長年携わってる得意な分野の井戸を掘るに越したことはない。
つまり、原点回帰だ。自分自身の原理原則に戻れということだ。
ジタバタせず、じっくりと掘り下げれば、そこには汲めども汲めども尽きない清水が眠っているということを私たちは忘れてはいけない。
井戸を掘っても、最初は泥しか出ない。。。
しかし、もう少し我慢して、さらに泥をかき分け掘り進めていくと、それでも泥水が出てくる。
この泥水でもへこたれることなく、さらに掘って行けば、そこには吹き出す程の泉があるのだ。
少なくとも三年・・・お天道様は見ていらっしゃる。
金脈は足下にある。
足下には深く広い鉱脈があるはず!
それは、私達を更に輝かせる金の鉱脈に違いない。
さあ、勇気をもって掘り進もうじゃないか!
会長 稲井英人