人の話は常に勘繰りながら冷笑し続けなければならない
私たちは人とコミュニケーションをとっている時、つい気を緩めてしまい、夢中になって話の表面しか汲み取れていない時がある。それは我々ツイ廃弱者男性として絶対やってはならない事である。
私は去年、高校を入学したと同時に某飲食店に面接に行き、そこから今年の春までそこでバイトをしていた。
仕事内容は接客、調理、両方をやらされる少し面倒なものであったが、そのバイト先には可愛い高校生大学生の女子が毎シフトいるような環境だったため、そこまでバイトは辛くなかった。
そう、その時の私は辛くなかった
「辛くなかった」
これは私の最大の汚点になったのである。
このバイト先で私は不思議なことにいろんな人に話しかけてもらえた。こんなにも話しかけて貰えた経験が無い当時の私はそれがとても嬉しかった、しかしそれは全くの虚像であり、私は彼らのオモチャでしかなかった。
「Berealやろうよ!」と言われ一緒に撮った写真の私を裏で冷笑されていた日。
バイトの人と一緒にご飯に行かせてもらった後「写真撮ろうよ!じゃあここに立って!」と言われ立つと、前に見える建物がそのバイトの人の知り合いにあたる人の夜職の仕事場だった日。
「◯◯さんいけるよ!デート誘ってみな!」と嘘の脈アリ情報でそそのかされ、案の定その人にデートを断られバイトを辞めざるお得ない状況になり、そのまま逃げるようにバイトを辞めた日。
数えきれないほど、オモチャにされていた。
そこからというもの、私は人の話を素直に受け止めれなくなった。肯定的な言葉を貰うほどに、それが恐怖になっていった。でもそれは、みんなが逃げているだけで、正しい受け取り方なんじゃ無いかと思う。何もかもただポジティブに受け取るだけでは、大きい何かに自分が丸呑みされてしまう気がする。現代とはいえ、所詮野生。手段が変わっただけで、決して舐められてはならない。何に対しても捻くれた見方をし、常に人を見下していなければこの野生で生き残る事は出来ない。この野生において冷笑は死を意味する、ただ生きているだけが生き残ることでは無い。冷笑を使い上に立つ必要がある。
自分が何も考えないで生きていけるように、
何もかもを考える。
冷笑は現代の武器であると私は思う。
この文章を冷笑してくれても私は全然構わない、この文章を読んで冷笑している人をまた私も冷笑しているから。