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今日だけは、と、

「今日はみんな早く帰らなきゃいけないんじゃないの」

私より先に帰ることがほぼほぼない先輩が、定時を過ぎても平然とキーボードを叩き続ける私たちメンバーを横目にそう呟いて、席を立った。え、今日何かあったっけ。鍵当番の先輩が早く帰っちゃう日だった? そう思ったくらい、それは私には縁のないイベントだった。


始業時間に間に合う電車に乗って、出社記録をつけて。画面と睨めっこして、キーボードをかちゃかちゃ奏でて、適切なタイミングで報連相して、を9時から18時まで繰り広げる。定時を過ぎたら、速すぎず遅すぎない目立たないタイミングを見計らってドアノブに手を、そして退社記録を。

それはいつも通り、何一つ変わりないただの月曜日だった。
強いて言うならば、出勤日が3日間しかない週の月曜日ってだけ。
(それを口実に今週はお弁当の作り置きをサボった。)

藍色の夜空に煌めくイルミネーションは、かれこれ1か月以上設置されていたせいで、もはや街の風景の一部になっていた。浮き足立つどころか、そこに何の意識も感情も特別も湧いていなかった。
すべてがいつも通り。

の、はずだった。


*   *   *


最寄駅で電車を降りた後、ふと「惣菜コーナーのトンカツでも買って、夕飯のカレーに添えるか」と思い立った。そこに深い意図はなかった。けれど、特に深く考えず(躊躇せず)自分の「したい」を実行に移したことで、「月曜帰宅時間帯のスーパーに足を踏み入れる」という特殊イベントが発生した。

自動ドアをくぐり抜けた私は惣菜コーナーに一直線……とはいかず、いつも通り——すなわち「日曜日中のスーパーに足を踏み入れた場合」——と同様の同線で移動する。値引きコーナーは山盛りだけど、ヨーグルトに入れたらおいしそうなフルーツ系はなさそうだな、とか。奥底になんかあったから引っ張り出してみた……けどトマトだった、とか。そうして私は値引きコーナーを離れ、動線上の次の立ち寄りポイントで歩みを止める。



そう、ブロッコリーである。



おいしいし、調理はカットしてレンジで6分チンするだけ。これが理由で私のお弁当のレギュラーメンバーになっているブロッコリー君。一時期は極端に値上がりしサイズも小さくなったせいで、およそ3か月の長期出場登録選手抹消をくらったが、それでもなお私の心を掴んで離さない。
だからお弁当の作り置きをしない、つまり買う気がなくても、ブロッコリーの値段とサイズはつい見てしまうのだ。

そうして目に飛び込んできたのは、158円の値札と、短くても直近半年は見かけていない巨体サイズのブロッコリー君たちである。
どれか一つが巨体なのではない。全員巨体なのだ。

私は目を見張った。そして考えた。
今日は弁当作りの日ではないし、今週は弁当を作る気はない。けれどこの値段でこのサイズはこれを逃すとまただいぶ先かもしれない。



そこで私はようやく、今日が今日であることを思い出した。


そうだ、アヒージョを作ってみよう。
エビ、キノコ、色々選択肢はあるけれど、ちょうど加熱用のイカに2割の値引きシールが貼られているのに遭遇。さらに今来た道を逆戻りして辿り着いた値引きコーナーにパプリカが埋もれているのを発見。最後に、パンコーナーでフランスパンを探す。26日消費期限のカンパーニュが手を振っている。

イカとパプリカとブロッコリーのアヒージョを作って、ちぎったカンパーニュを浸して食べる。うん、いいんじゃない?
カンパーニュの手を掴んでカゴに入れた私は、あとは脇目を振らず一直線にレジへと向かった。


*   *   *


夕食の後、ふらりと立ち上がってまな板と包丁に手を伸ばす。
ブロッコリーを房にカットして、耐熱ボウルへ入れていく。
水を少しと、塩少々。
ふんわりラップをして、レンジへ。

次、パプリカ。
ヘタと種を取って、大きめにカット。

スキレットに手を伸ばす。
オリーブオイルは贅沢に。そこへすりおろしニンニクを適量。
スキレットは小さいから、火は強くなりすぎないように気をつけて。
オリーブオイルがくつくつしてきたら、イカ君お待たせ、君の出番だよ。熱々のお風呂であったまってね。

イカに火が通ったら、パプリカとブロッコリーを投入。
しょうゆとバジルソルトを適量入れたら、火からおろして完成。



クラシルさんのレシピを簡単に真似しただけ、だけど。
ランチョンマットを敷いて、きれいめのお皿にカンパーニュを並べたら、口元が少しだけ緩んだ。


イカのエキスがよく出ていて、特にブロッコリーとあっていて。
私は夢中で頬張った。


*   *   *


「本当は、クリスマスに心を躍らせているのは大人の方なのかもしれない。」少し前に出会った言葉が印象に残っている。(印象に残っている、と言った割に、今もう一度確認したら表現が正確ではなかったけど……)



今日はクリスマスだから。

その言葉は単に、大人が子供にトクベツを与えたいからというだけではないのかもしれない。
現実を知ってしまった、罪悪感を感じることができるようになってしまった大人たちが、自分自身に、あるいは大人という自分の奥底に眠る小さな子供の自分自身に、今日一日だけは、と、言い聞かせるための。


それはまるで、ブラックコーヒーに角砂糖を入れたときのように、優しくて甘くて透き通った味だった。






iPhoneのロック画面が月食みたいだった