✨諦める✨
わたしには
物心ついたころから
“父”という存在がいなかった。
なんでいないのかな?
そんな風に感じたことは
何回もあったけれど
“聞いてはいけない”
幼心にそう感じたものだ。
だけど
わたしには
祖母と祖父が2人いた。
父はいないから
両方とも母の親になるのだけど
幼いながらに
いつのまにか経緯を理解できていた。
どんな環境に産まれたとしても
子供というのは
適応能力があるのだけど
この環境が
“普通”ではないということは
成長するに従い理解していくことになった。
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母が貸せないと
孫にお金を借りにくる祖母
期日になっても
わたしにお金を返さない
そんな祖母に怒る母
その姿を見て
お金を貸すときは
“あげる”
そう思って渡すこと
それを学んだ14歳の春だった。
母が祖母に電話をしてくれたお陰で
きちんとお金を返してもらえた。
母は普通の“母”ではなかったけれど
きちんと行動で示してくれる
そんな人だった。
“誠実”さ
それをきちんと見せてくれたのも
母だった。
普通の人からしたら
“誤解をされる”
そんな人だったけれど
わたしには
誰よりも信用できる
そんな人だった。
普通の環境ではまずしない
そんな“体験”を
たくさんさせてもらった。
だけど
どの瞬間も
不思議と不満に思うことはあまりなかった。
それは
どの体験も
わたにとって“学び”
そう感じていたからかもしれない。
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色々な人間がいる
色々な考えがある
色々な生き方がある
口だけの人
信用できない人
呆れる人
そんな人たちも
たくさんみてきたけれど
きちんと行動する人
信用できる人
尊敬できる人
そんな人たちにも
たくさん出逢い
みせてくれた。
だからこそ
わたしは
“どう生きていこうか”
“どう生きたいか”
そんな風に感じながら生きてきた。
この瞬間も
こうしてありのまま書いて
“生きる”
“生きている”のだけど
なんで書いたの?
書いているの?
そう聞かれたら上手く答えられない。
ただ
書きたいから書いている
それ以上も以下も
わたしにはないのだと思う。
色々考えたりはするけれど
これまでの人生も
“あるがまま”生きてきた。
それは
ある意味
“諦めて”生きてきたのかもしれない。
仏教で
諦めるとは
“明らかに真実を観る”ことらしい。
ありのまま
見て知る。
あぁ…
諦める“生き方”か
そうだね…
うん、きっと
これからも
これからも…
2024.08.21. “なみ”