”当たり前”に目を向けて!
どうも、棚橋です。
本日は「習慣」について記します。
突然ですが、皆さんはペットを飼ったことはありますか?
私は、ハムスター、金魚、トカゲ、昆虫、なら経験があります。
犬猫ももちろん飼いたかったのですが、マンション暮らしの実家では飼えなかったため、親戚や友人が飼っているのを羨ましく見ていたのを覚えています。
ミニチュアダックス、柴犬、コーギー、ミニチュアピンシャー…
…はい。今でも飼いたくなります。
そんな気持ちも抱きつつ、ニュースを見ていると、
こんな記事を見つけました。
そういえば、確かに。
私が見たことのあるコーギーやダックスフンドはみんな尻尾がありませんでした。
ちなみに、実際はこんな尻尾なんだそうです。
おお、長い!
元々、断尾や断耳(ドッキング)は、猟犬や牧羊犬として働いていた歴史から、牛や羊に踏まれたりしないために根付いた習慣でした。
現在ではそのメリットや必要性はないそうです。
では、何故、今でも根付いているのか?
Yahoo!記事いわく、
日本では、本来の文化の中で生まれ育った風習的なことではなく、「この犬種はこういうものである」という犬種標準という概念も犬とともに輸入したこともあり、変えることを考えていないということ。
一部、純血種への憧れやこだわり、顧客ニーズがあることからもこの習慣が続いているようです。
なるほどー。
まあ。つまり、当たり前の延長線で行っている、という認識になります。
しかし、この記事に限らず、
生活の中でも ”当たり前だからやっていること” は誰しもあるはずです。
例えば、
今では、子どもが大学まで学校通うのは当たり前。
社会人になったら、毎日暮らしていくために、会社に勤めて給料をもらうのは当たり前。
文化によっては、
飲み会では、男性が女性より多くお金を払うのが当たり前。
仕事は、男性は女性より働くのが当たり前。
とかとか。
しかし、よく考えると疑問に感じます。
子どもが学ぶ場所は学校だけとは限りません。
中学・高校を卒業して、社会に出た人は社会で学び、成長しています。
そして、
社会での男女差は社会運動によってなくなりつつあります。
今では、1日の労働時間や給与に差はほとんどありません。
今一度、身の回りの ”当たり前” に目を向けて、
考えてみることが大事です。
私自身、日々考えながら、変えていきます!
では今日も一日!全力で!!!
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