本来の自分に還る旅
人は生きていく上で、沢山の物を背負っていく。
私は今、その荷物を、ひとつひとつ降ろしているような感覚で生きている。
何かにつまづいた時、私は自分に子供になって、なんで?どうして?と質問していく。
そうして自分の中をパンドラの箱のようにひとつひとつ紐解いて、最後のひとつに大体が恐れという最後の感情が出てくる。
あー、そっか。
これを私は恐れていたのか。
そうすると、いつの間にか、その恐れは自分の中から消えていく。
そうしてどんどん、ギュウギュウになってた自分が解放されていく感覚で過ごしている。
昨日、ある人とやりとりしていて、この子、友達のあの子に似てるなぁ。って思った。
その友達は、16歳の頃、私のひとり暮らししてる家に転がり込んできて、3ヶ月くらいかな?一緒に暮らしてた。
私はその子に会うまでは
尖ってて、かっこ悪いことはしたくないと思っていて、ふざけることはかっこ悪いことだと思っていて、人を笑わせるとか、人を笑顔にさせることは言えなかった。
いつもぶっきらぼうで、プライドだけ高くて、なんかいつも人を見下していたと思う。
その友達は、おバカ上等。
常にハイテンション。
夜中の道路(田舎だから車はほぼ通らない)で、私の浴衣の草履を履いてハンドルを切る仕草をしながら
『やっほぉうい!』とはしゃいで走り回るような子で、私にとっては珍種の生き物だった。
いつも笑っていて、いつも人を笑わせることを考えていて、いつもふざけていて、サバサバしているのにいつも優しかった。
初めはヘラヘラして変な子だなって思っていたけど、いつの間にか大好きになって、一緒に暮らした3ヶ月目には私も一緒にはしゃぎながら走り回るようになっていて。
それまで心のシャッターをこんなに開けたことは無かったので、私はとても幸せな気持ちをそこで知った。
そこから、優しくて明るいゆずたさんが生まれたのよ。
そんなことを昨日ふと思い出したの。
だってその友達に似てる子とやりとりしたあとで、友達本人から数ヶ月ぶりにLINEが来たから。
時々、田舎感満載の写真を届けてくれるんだ。
未だにハイテンションで、未だに沢山の人と交流していつも幸せになっていつも嬉し泣きしてるような人。
私はさ、この子に憧れて、この子の一部を自分の中に招き入れたんだ。
勿論、自分にその素質があったから取り込めた、という見方もできる。
でも、1度、私はこの事を、今ここで、思い出したかったんだと思うの。
取り込む前の自分が泣いてるのかもね。
少しは思い出して!って。
こうしてまた1つ、私の蓋が空く。
どうして彼女を取り込んだの?
彼女があまりに魅力的だったから。
どこが魅力的だったの?
一緒にいて幸せをくれたから。
それまでの自分じゃその幸せは与えられないの?
ねえねえ。
どうして?
こうしてまた子供の私との対話が始まる。
ひとつ。またひとつ。
蓋を開けて最後のひとつが見えたら、そのうち私はまた変容するだろう。
その時は、キャラ、変わっちゃうのかな?
どんなゆずたさんになるのだろうか、、
私も分からない。
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