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スタバからハイビスカスティーが消えた日

 私は大学生のとき、スターバックスコーヒーで働いていた。1年生の4月に入り、大学を卒業するまで働いた。その間、辛いことも楽しいこともたくさんあったけれど、スタバからハイビスカスティーが消えた日ほどショックを受けた日はない。

 私は珈琲がすきだけれど、ティーもすきで。働いていたときとプライベートで飲む頻度は半々くらいだった。毎朝自宅で珈琲を淹れるから、職場やプライベートではティーを飲もうというバランス感覚を意識していたときもあった。スタバでよく注文されるティーはイングリッシュブレックファーストとアールグレイだったけれど、私はそのいずれも苦手だった。そもそもティーを飲むようになる前の私は、ティーを飲もうという気持ちにはならなかった。トートロジーのようだけれど。ティーを飲むようになった具体的なきっかけはうまく思い出せないが、きっとカフェインが入っていない何らかの飲み物を探していたのだと思う。できるだけ、飲みやすいのを。もちろん、ディカフェの珈琲は早い段階で候補に挙がったが、私にとって珈琲は朝~昼にかけて飲むもので、それでいてカフェインが入っている嗜好品というイメージが固まってしまっていたため、夜にカフェインが入っていないのを飲むのはためらわれた。そこで、ティーに目をつけたのだ。

 あの情熱的な赤、馥郁たる香り、酸っぱいのにどこか包み込む優しさのような味わい──。私はハイビスカスティーの持つ芳醇さに瞬く間に虜になってしまった。以来私は、8割~9割程度の割合でシフトのときはハイビスカスティーを飲むようになった。

 けれど、そんなハイビスカスティーの魅力を理解してくれる人はあまりにも少なかった。「〇〇だけだよ、ハイビスカスティー飲むの」「なんでこんなにもビバレッジの種類がある中でハイビスカスティーを飲むのかわからない」「ハイビスカスティーを美味しいって言って飲むのは変人だよ」といわれた。私のハイビスカスティーに抱く愛情は孤独なものであった。

 そしてそれは突然訪れた。詳しい時期は覚えていないが、昨年末あたりではなかっただろうか、ハイビスカスティーはスタバのビバレッジのメニューから姿を消した。その事実を知ったときの私の感情は、筆舌に尽くし難いものがあった。感情の起伏があまりないので顔色には表れなかったが、心は静かに涙を流していた。そのとき近くにいた人に私はその重大さを必死に訴えた覚えがあるが、やはりどうしようもなくわかってもらえなかった。




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