【都市伝説】山手線が出来た理由
940年平将門は藤原秀郷によって討ち取られた。
切り落とされた将門の首は七条河原に晒されたが数ヶ月経っても目を見開いた状態でおどろおどろしい形相のままだった。
ある日将門の首は突如動き出し、関東まで飛んで行った。
将門の首は弓矢で撃ち落とされたが、その地域では数百年に渡り、災いが降り注いだ。
将門の怨念に目を付けた徳川家康は将門の怨念を利用し霊力を高め、徳川家を繁栄させようと考えた。
将門にゆかりのある
鳥越神社
兜神社
首塚
神田神社
筑土八幡宮
水稲荷神社
鎧神社
この7つを結んで北斗七星を描く様に場所を移した。
約260年後徳川の時代が終わり、明治政府は北斗七星の結界を封印しようと、
谷中霊園
築地本願寺
青山霊園
雑司ヶ谷霊園
で四角い魔法陣を作り、真ん中に靖国神社を置き、将門の怨念を弱めようとした。
しかし、それだけでは不十分だった。
明治政府は霊魂を遮断する役割を持つ鉄を使い、将門の怨念を打ち消そうとした。
北斗七星を遮断する様に、円状に線路を引いた。
そして、将門の怨念が消えるまで、円状の線路の上に鉄の列車を走らせ続けようと考えた。
こうして出来たのが『山手線』
今もなお運行し続ける『山手線』
将門の怨念は今もまだ残っているのかもしれない。
勿論これは、ただの都市伝説。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?