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最も死神に嫌われた日本兵

最も不運な日本兵の話をしよう。

今を生きる私達にとっては軍人として戦場へ行く事自体が不幸だと思うが、その中でも飛び切り、かなり個人的な見方があるが最も不運に見舞われた男の話。

その男は幼い頃ヤンチャなガキ大将だった。
男は頭も良く、身体能力も高いまさに文武両道だった。

彼が軍人になると、23歳でパラオ諸島アンガウル島に軍曹として着任する。
そこから日本へ帰還するまでの彼は不運の連続だった。

彼が派遣された戦場は自軍1400人、敵軍2万2000人というどう見ても負け戦だった。
彼はその戦場で負傷箇所大小合わせて24箇所、連戦による火傷や砲弾の破片が体に食い込んだ箇所20箇所。
栄養失調により視力が殆ど無くなりつつ、彼は三度の死線を味わい、一度の死亡が確認された。
さて、詳しく話していこう。

島の形が変わる程の艦砲射撃の中、左大腿部に砲撃を受けたその男は動けなくなり、銃火に晒される事数時間。
やって来た軍医に、手の施し用が無いと言われ、自決用の手榴弾を渡される。
しかし、その男は夜通し這いずり味方陣地まで帰り、翌日には歩ける程回復していた。
1人で敵兵を200人以上打ち取り、銃の弾が切れても銃で相手を刺殺する。
その男は身体が化膿し蛆が沸いても、銃弾を化膿した箇所に埋め込み点火させ炎症を防ぐ。
そんな彼も敵の銃弾が腹部を貫通し、動けなくなり、自らの命を諦めた。
楽になろうと、自決用の手榴弾のピンを外す。
その手榴弾は何故か不発に終わった。
自決する事を諦めたその男は約1万人の敵陣地に1人で乗り込む事にした。
まともに動けないその男は敵陣地に入っても逃げ惑う事しか出来ない。
その男は前哨陣地を這いずり回った。
その期間3日。
その男は前哨陣地を突破した。
しかし等々その男は頸部を撃たれ、戦死が確認された。
その男は味方だけで無く、敵からも称賛された。
その男の戦死が確認された後、敵陣地の死体安置所へ運ばれた。
その3日後、その男は起き上がり敵の弾薬庫を爆破し味方陣地へ戻って来た。


つまり誰も、彼自身も然り、あらゆる事象さえその男の命を奪う事が出来なかった。


男の名は『舩坂弘』
人々は言う。

奴は人類史上最も死神に嫌われた男だと。

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