◆マスメディアの親殺し

三つ目は、科学主義を切り売りするマスメディアに対する不信。
ジャーナリズムを中心としてマスメディアは、一貫して科学主義の布教につとめてきました。
特に科学の申し子ともいえるTVは、「アポロ11号の月面着陸」の衛星放送をクライマックスとして、全世界に科学主義を布教するというめざましい力を発揮してくれました。オリンピックも万博も、世界の警察アメリカの活躍も、日本の高度経済成長も、みんなTVを通じて布教されたのです。
ところが、科学主義にかげりが見え始めると、マスメディア内の主張の矛盾や意見の食い違いが目につくようになってしまいました。
科学的態度からいえば、最良の答えはたった一つに絞り込めるはずです。きちんと実験したりデータを集めたりして検証すれば、どれが正しいか効率がよいかはっきりし、意見は統一されていくはずなのです。
ところが実際にはそうではない。むしろ意見は分かれ、科学者の数だけ学説があるらしいのです。確かにその原因の一つとして、視聴率や売り上げが上がればよしとするマスメディアにも問題があります。目新しくおもしろい情報を求めるあまり、その正確さを二の次、三の次にしてしまう。これは多くの視聴者が、目新しくおもしろい情報を求めるあまり、その正確さを二の次、三の次にしてしまうのと表裏一体になっています。

でも、それだけの問題ではありません。
だれにでも一つや二つは、きっちりと知っておきたいことがあります。それは人によって健康のことだったり、教育のことだったり、経済のことだったり、様々です。
が、どんなことであろうと、マスメディアを通じて情報を集め出すと、必ず矛盾する結論やデータが、いくつも手に入ってしまう。この時点で普通の人は「科学的な正しさ」で物事を判断すること自体、あきらめざるを得なくなります。
こうして視聴者は、おもしろい情報だけを見るようになり、マスメディアはますますおもしろい情報ばかりを流すようになるのです。

また私たちは、TV番組にはスポンサーがついていて、そのおかけで無料でTV番組を見られることをみんな知っています。
TV番組は無料でも、代理店とスポンサーがついている。
雑誌は有料でも、広告ページという形で様々なスポンサーがついている。
どのマスメディアにとっても、共通の最終的スポンサーである政府の存在がある。
それらのスポンサーが圧力をかけているため、流せない情報があったりするのも、私たちは公然の秘密として知っています。
たとえば、育児雑誌で「あなたは布おむつ派? 紙おむつ派?」という特集があったとします。その記事は一見きちんと取材され、自由な視点で比較されているかのように見えます。しかし、そのすぐあとのページで紙おむつのカラー広告が二ページ見開きであったりすると、先ほどの「自由な視点」なんか、信じられるモノではありません。

また、ジャーナリズム、特にTVを中心としたマスコミは「そのまんま」が伝わってしまいます。どんな偉い科学者や政治家も、「案外気さくな人ね」とか「服のセンスがあまりにダサい!」とかのレベルまで全部が見えてしまう。
学者や政治家同士の討論も、いかに科学的・合理的に話し合えないか、いかに他人の言うことを聞かずに自分の意見を必死になって主張しているかが丸々見えてしまう。
出演者同士の気兼ねや牽制(けんせい)のし合いも何となく伝わってしまう。
新しい学説や政策も、それをだれが説明するかによって印象はまるっきり違ってしまうのです。いきおい、出演する方も過剰演出になり、極端な意見になり、ますますどの意見も信用ならない印象となってしまうのです。

で、このような原因によって、科学主義の布教に最もめざましい活躍をしたマスメディアは、結果的に、科学を信じられない怪しげな存在にしてしまいました。
マスメディア自体、科学の発達の中で生まれ発達してきたものの代表、優等生なのだから、科学に対して親不孝なことです。
こうして、科学自体も科学者もマスコミの吹聴する科学データも信じられなくなった私たちは、「科学主義者」としての態度を捨ててしまいました。

支援していただけるなんてチョー嬉しいんですけど^^笑