今日。

わたし一人だけが取り残されようとしている昼間、風が涼しい。匂いだけが漂って来る隣人の、昼食を思う。話したことのない人たち、話したけれども分かり合えなかった人たち。それぞれが生きていることをまるっと抱えて、今日の日が移る。わたしはどこにも触れられない。

一昨日がどんな日だったかなんてもう誰も覚えていない。向かって来る一日、一日を、受け止めるだけでもう余白のない手だ。その手も先は五つに分かれているから、いつだってこぼれ落ちるものがあって。拾えない、それは確かに一瞬だけ、この手を擦り抜けたが。

託すものがあるとしたらこの心臓の循環。律儀に血液を運ぶ震動。吐いて吸うことだけが真理だ。それ以外は特に必要なくなればいいのに、と思う。私は心臓のためにようやく立って遅い昼食を用意する。或いは、萎びれた胃袋のために。それは「わたし」のためではない。「わたし」を生かしている「なにか」のためでしかない。わたしはその「なにか」さえも、正体を知らない。

何年も前(数えるのも面倒なほどに時間が経った)、モンゴルの草原に建てられたゲルの中で、小さな木製の椅子に腰掛けてパンを齧りながら、片手で本を読んでいた人のことを思い出す。文字だけを食べて生きることが出来たらいいのに。或いは、言葉を。無味無臭とされるそれらは実際には味があり、匂いもあり、感触もある。それらは確かにわたしの心臓を動かす。わたしの未来も示す。でも腹は膨れない。惨めなくらい。

みんな、旅立って行った。今日と言う日のために、朝になって出て行った。その先で、今日と言う一日を崩しながら、今日と言う一日を積んで行っている。わたしはベッドから片足だけを床に降ろし、その片足さえも踏むべき場所が分からず、ただ、本を読んでいた。捲れるページだけが私の生きた証だった。開いたノートに書いた、数行の言葉だけが今日の証だった。わたしが誰にも触れないように、誰もわたしに触れない。お互いに欲し合っていない。