かわいい。

撫ぜ回せるものを、何故、可愛いと思うのだろう。いやらしいとも思うのに。可愛いと言う思いには少なからずの目線の高さを感じる。私達は平等である時にはお互いを可愛いとは思わない。自分、みたいだと思う。自分、だから。

可愛いと言う言葉はあまりにも安売りされてしまった。ので、もはや言葉にするほど空虚で、むなしい。かわいそうだと思う。私はまだあどけないキウイフルーツを皿の上に乗せ、先日、可愛いと思った。その瞬間にキウイフルーツは皿の上で腐り、溶けてなくなった。うじがわいた。私はどろどろのそれと、うじうじのそれを泣きながら捨てた。

あの子の持ち物には全て「可愛い」と言う言葉が貼り付けてあって、あの子が身に付けたそれらを手に取る度に私は馬鹿みたいに可愛いと声を上げ、カワイイお化けになった。カワイイお化けは、可愛いとしか口にしない。お化けになった私はあの子の後をひょろひょろと付いて行き、喫茶店でコーヒーを飲んだ。ソーサーの隅に添えられた銀のスプーンが可愛くて、私はまた可愛いと言った。

私はお化けのまま帰って来て、服を脱いで、からだを洗った。ぼろぼろと剥がれて行く。鱗みたいな垢が。それが排水口で渦を巻いてなかなか吸い込まれて行かなかったから、私は自分が汚い人間だと重く気付かされた。私に貼り付いていたのはそれだ。汚いんだ。いやらしいんだ。可愛いなぞと口にして、それで全てをなかったことにして行く。無だ。無にして行ってるんだ。この口が、と思って大きく口を開けたら中には真っ黒いブラックホールがあった。スパゲッティになったあの子が、ふらふら浮いていた。

毎日、小動物の動画をチェックしながら私はこの世の可愛いものについて考える。人間はそれほど可愛くはないが、神様から見たら可愛いのかもしれない。可愛いの中にはむなしさがあって、いやらしさがあって、私はこんなに汚らしいと言う確認があって、それでも可愛いものには可愛いと言う言葉しか当てはめられなくて、私は自分のからだをずたずたにしながら、この世に生きる可愛いものを見て回るのだった。神様はそんな私を檻の外から見て可愛いと思うのだろうか。