汚泥昏迷。

わたしのこころがボロボロ雑巾になる頃、玄関ドアの外にはきみの影がいて、きみ悪く佇んでいるから、わたしは濡れ落ちた心臓を端からほどいて行くしかない。ほつれて行くしかない。そうして一本のかほそい糸になった心臓を天井の電球から垂れ落ちる線に結び、引っ張ったり離したりしながら、SOSの合図を送る。ぱちぱち、部屋の色を変えながら。何度も、何度も。

数年前か。思い出せないけれども何かの拍子で、うそ、自らの手で覗いた。ドアの鍵を開け、チェーンは外さないまま、薄らと開いてみた。ら、きみはとぼけた顔をして喫茶店のチェアーに座り、こちらを見ていた。が、こちらを見てはいなかった。顔だけ向いていただけだ。わたしはきみがいつの間にか健康な顔付きで、けれど何も変わらない風貌でいることを見詰めながら、別段、何の感情も抱かなかった。が、よろしくやっているんだと思うとあまりいい心地はしなかった。から、何も声を掛けずにドアを閉めた。

空っぽになった心臓があった場所にわたしは雨に濡れているぼろ雑巾を詰めながら、縫い合わせる糸がないことに気付いて絶望している。SOSの合図には誰も気付かない。当たり前だ。カーテンを閉めているんだ。明るい天井には白い光しかいなくて、その白い光には血液は宿っていなくて、だから嘘臭い。仰向けになってじっと見詰めるけれども、信じ切れない。その光の奥から天使が舞い降りて来たとしても信じないだろう。わたしはいつか、彼の羽を掴み引き千切って、それを喰ってやった。その時に、わたしの喉に欠けた羽の先が刺さったので、わたしの声は薄ら掠れている。

頭の中からボロボロと湧き上がって、それが骨と皮の間を伝い、瞼の下まで下りて来る。そして瞳をじわじわと侵食すると、わたしの視界から輪郭を奪い取ってわたしを溺れさせ、溢れ出してわたしを水浸しにするのだ。SOSを呼んでいる。呼んでいる。ばちばちと何度も引っ張って、離して。きみは何も言わないでそこに突っ立って、わたしを助けようともしない。それでいい。わたしは助けを求めているのではない。かつて心臓だった場所から、ぼろ雑巾がはち切れる。死に切れないんだ。ごめん。