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Vol.18 メタバースで地方創生なるか? - 隠岐島で感じた、仮想と現実の「距離」
2025年2月1日、私は、島根県の隠岐島にて立命館大学メタバース教育研究会IRISを開催した。本土からフェリーで数時間、美しい海と豊かな自然に囲まれたこの島で、なぜ「メタバース」のイベントが開催されたのか。それは、立命館大学と、島根県立隠岐島前高等学校が、以前から深い交流を続けてきた縁によるものだった。
隠岐諸島とは
隠岐諸島は島根半島の北に位置する4つの有人島と約180もの無人島で構成されており、その歴史は非常に古い。隠岐諸島が位置するこの海域は、日本海側と畿内を結ぶ海上交通の要衝として古くから栄えていた。 後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流された歴史や日本海の海上交通の要所であったため、隠岐独自の文化が育まれてきた。隠岐独自の文化を形成してきたことから、本土とは異なる生態系が育まれ、2013年にはユネスコ世界ジオパークに認定された。
東京一極集中の光と影、そしてコロナ禍
現代社会は、東京一極集中が加速している。確かに、大都市には、利便性、経済的機会、多様な文化など、多くの魅力がある。しかし、その一方で、満員電車、劣悪な住環境、ゴミ問題など、様々な弊害も生み出している。そして、何よりも、地方の過疎化が、深刻な問題として日本社会に影を落としている。
コロナ禍は、そんな私たちに、働き方の多様性を気づかせてくれた。リモートワークは一過性の流行ではなく、パンデミックを契機に広がった新しい働き方・暮らし方の可能性のひとつだ。働く場所を選ばないことが実証され、働き方の自由度は格段に広がった。この流れが進めば、東京に住む必要はなく、地方への移住が進むのではないか。そう期待されていた。しかし、現実は、そう簡単にはいかなかった。
オンライン飲み会の限界と、メタバースの可能性
コロナ禍で一世を風靡した「オンライン飲み会」を思い出してほしい。確かに、離れていても、顔を見ながら会話ができる、画期的なツールだった。しかし、今、どれだけの人が、日常的にオンライン飲み会を開催しているだろうか? おそらく、多くの人が「やらなくなった」と答えるのではないだろうか。
一方、ビジネスシーンでのオンライン会議は、今や当たり前の光景となっている。では、なぜ、オンライン飲み会は廃れ、オンライン会議は定着したのか?
その理由は、「臨場感」の違いにあると、私は考えている。 会議では、資料を共有し、意見を交換することが主目的であり、参加者の「存在感」は、さほど重要ではない。しかし、飲み会は違う。その場の雰囲気、空気感、そして、そこにいる人々の「存在感」そのものが、楽しさを生み出す重要な要素となる。
従来のオンラインツールでは、この「臨場感」を生み出すことが、非常に難しい。どんなに高画質・高音質のビデオ通話であっても、画面越しの会話では、相手の存在を、肌で感じることはできないのだ。
しかし、メタバースは違う。VR技術によって生み出される仮想空間は、圧倒的な没入感と臨場感で、まるで本当にその場にいるかのような感覚を与えてくれる。 アバターを介して、身振り手振りで感情を表現し、空間を自由に移動しながら、相手と「同じ空間」を共有することができる。
この「存在感」こそが、メタバースの最大の強みだ。 実際、私のメタバース仲間たちは、今でも頻繁に「メタバース飲み」を開催している。終電を気にする必要もなく、気分が悪くなったら、ワンクリックで自室のベッドに移動できる。そして何より、物理的な距離を超越して、「そこにいる」感覚を共有できることが、この上ない魅力なのだ。
「体験の共有」が、地方創生の鍵となる
メタバースの可能性は、単なる「遠隔コミュニケーションツール」の枠を超えている。それは、「体験を共有する」ための、全く新しいプラットフォームなのだ。
現在、開発が進められているARグラスなどのデバイスが普及すれば、仮想空間と現実世界の境界は、さらに曖昧になるだろう。そして、その時、私たちは、「距離」という概念から、真に解放されるのかもしれない。
そうなれば、地方創生においても、メタバースは、強力な武器となるはずだ。美しい自然、伝統文化、美味しい食べ物…。地方には、都会にはない魅力が溢れている。しかし、現状では、その魅力を体験するためには、実際に現地を訪れなければならない。
しかし、メタバースを活用すれば、誰もが、いつでも、どこからでも、地方の魅力を「体験」できるようになる。 そして、その「体験」が、新たな人の流れを生み出し、地方創生に繋がる。そんな未来が、すぐそこまで来ているのかもしれない。
隠岐島での経験は、私に、メタバースの可能性、そして、地方創生の未来について、改めて考えさせてくれる、貴重な機会となった。仮想と現実が溶け合う新しい世界が、日本の未来を、どのように変えていくのか。その行く末を、私は、これからも見守り続けたいと思う。