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メタバース貴族──現代に蘇る平安的“優雅”のかたち Vol.11
物質的な豊かさを追い求める時代が長く続いている。住宅、食事、娯楽といった要素は生活必需品として発展を遂げてきたが、近年注目を集めているのが「メタバース」である。VRやXRといったテクノロジーの進化によって構築されたこの仮想空間は、いまやエンタメ領域を超えて、“もうひとつの社会”として機能し始めている。ここでは人々がアバターで交流し、創作を行い、時に“リアル”のような日常までも営んでいる。その生活観は、かつて平安時代の貴族が独自の感性や占いを重んじて過ごしたように、一見すると理解不能な優雅さを漂わせている。
彼らはいわば「メタバース貴族」とも呼ぶべき存在だ。リアルの世界での物質的豊かさよりも、オンライン上での評価や仲間との“つながり”にこそ価値を置く。その姿は、歴史が繰り返す「文化と生活の融合」の一大転換期を象徴しているように思える。
メタバースの日常──「異常」と呼ばれる暮らしの本質
代表的な事例として、ニュースサイト「PANORA」に掲載されたあるライターのエピソードが有名だ。彼はソーシャルVR「VRChat」にのめり込み、たった8か月で2,800時間以上、週100時間以上をこの仮想空間に費やしたという。当時、「VRゴーグルをかぶったまま寝る」「一日中VR空間で過ごしている」といった姿は、常識から大きく外れるため“異常”と思われがちだった。しかし、本人は「そこに自分が帰るべき日常があるからだ」と語っている。
実は筆者も、その「メタバースの日常」を体感している。私はここ3年間で合計8,000時間ほどメタバースに滞在し、ほぼ毎日4時間以上はアバターを通じてVR空間に身を置いている。こう言うと、「そんなに長い時間を何に使っているのか」「現実世界は大丈夫なのか」という疑問の声が上がるかもしれない。しかし、自分としてはまるで不思議を感じていない。そこには友人がいて、雑談する空間がある。実際の部屋にいるよりも落ち着くVR内の“住処”があり、互いに近況を報告し、制作した作品を見せ合い、暇なら夜通しゲームで遊ぶ……。リアルでの友人関係や職場とは別の軸で、もうひとつの“生活”が成立しているのだ。
たとえば、「VR睡眠」は象徴的な文化だ。仲のいいフレンド同士が集合し、遅くまで語り合ったあと、そのままワールド内のベッドで寝落ちしてしまう。ログインしっぱなしで寝付くなんて奇妙な習慣に聞こえるが、その空気感はまるで修学旅行の夜のように和やかだ。朝起きると、同じようにゴーグルをつけっぱなしで寝落ちしていた友人が隣にいることもある。私自身、こうした「VR睡眠」をはじめ、「VR飲食」や「深夜のワールド巡り」に日々の楽しみを見いだしてきた。外から見ると“異常”に思えても、この時間が私にとっての“当たり前”になっている。
ベーシックインカムがもたらす新たな移住先
もし将来的にベーシックインカムが導入され、最低限の生活費が保証される世の中になれば、こうした「メタバース移住」は一気に加速するかもしれない。リアルの生活空間は極端に言えば狭い部屋一つで十分になり、VRゴーグルとゲーミングPCさえあれば“どこにでも住める”ようになる。物質的な豊かさではなく、デジタルコンテンツやバーチャルの経済圏での名声・評価が重要な価値基準になるのだ。
たとえるなら、平安時代の貴族の世界。彼らは複雑な身分制や政治的駆け引きの一方で、歌会や香の組み合わせ、占いといった独自の評価基準を大切にし、日々の暮らしに取り入れていた。「本当に必要なのか」と問われても、「これこそが心の潤いだから」と答えるしかない。メタバースにおけるVRアバターの装い方や3Dワールドの作り込み、いっしょに過ごす時間の長さと濃さ……そうしたものが新たなステータスへと昇華するだろう。
AIが拓く“友達”と“創造”の新境地
メタバースをさらに加速させるのがAIの存在である。近年のAI技術、特に画像生成AIや文章生成AIはめざましい進歩を遂げている。3Dモデルの自動生成や、アバターのデザイン補助、さらに音声合成などが進めば、個人レベルでの創作活動が一気にハードルを下げるだろう。たとえば、「この世界観をもとにしたワールドを作りたい」と指示すれば、AIがベースを瞬時に構築してくれるかもしれない。
またAIは、ドラえもんのように「いつでも隣にいる友達」になる可能性もある。誰もログインしていない深夜のワールドでも、AIが一緒に遊んでくれる。雑談をすれば相槌を打ってくれるし、相談ごとがあればAIなりのアドバイスを出してくれる。まるで“リアルな人間”のように振る舞うAIがいれば、孤独を感じることなくメタバース生活を続けられるだろう。「人がいなくても楽しい」環境が整えば、メタバースへの敷居はますます低くなる。
最終的には、精神的な医療サービスや生活の困りごとまでメタバースにいるAIが代替してくれるようになるかもしれない。
平安的文化の再来──意味不明なほどの“優雅”がもたらすもの
こうしてメタバースが大きく進化し、ベーシックインカムとAIが組み合わされば、現代の私たちは独自の“評価尺度”に支えられた新しい貴族文化を手にすることになるかもしれない。平安時代の貴族たちが占いや雅な儀式を重んじたように、メタバース住人たちはVR睡眠や仮想イベント、アバターのカスタマイズなど“わけのわからない”ようにも見える行為を楽しむ。それらを「意味不明」「無駄」と切り捨てるのは簡単だが、当人にとっては精神を豊かにするかけがえのない時間である。
実際、私自身が3年・8000時間という長い時間をメタバースで過ごしてみて感じるのは、「そこに共感できる世界と人間関係が確かにある」ということだ。リアルの常識や視点からは“異常”に映る暮らしでも、当人にはちゃんとした理由がある。メタバース空間でワイワイ騒いだり、創作した作品を評価し合ったりすることで得られる承認や連帯感。いつどこにいても仲間の声が聞こえ、誰かが笑っている世界。これこそが、これからの社会で求められる新しい生き方なのではないだろうか。
終わりに──新たなる“常識”の扉を開けて
私たちは今、「メタバース」と呼ばれる仮想世界をめぐり、物質世界の価値観だけでは測れない大きな変化の渦中にいる。生活に必要なリソースがベーシックインカムで保証され、そこにAIによる強力な創作支援が加われば、人はリアルと同等か、それ以上の時間をバーチャル空間に費やすようになるかもしれない。
そして、その世界にはすでに優雅な暮らしを楽しむ“メタバース貴族"が出現している。占いで一日の予定を決める平安貴族のごとく、自分たち独自の価値観や儀式、趣味のコミュニティを形成し、物質的なステータスに縛られず精神的な豊かさを追求しているのだ。そこでは常識の意味が変容する。“現実”の視点から見たら「ただゴーグルをつけて喋っているだけ」「一体何の得になるのか」と思われる生活も、当人たちにとってはかけがえのない営みとなる。
私自身、3年・8000時間という長期にわたるVRライフで得たのは、リアルでは体験しきれないほど多様な人間関係と、常識を超えた自由な暮らしの可能性だった。昼夜を問わず、誰かとつながる安心感。無目的な雑談やVR睡眠さえも人生を豊かにしてくれる体験。こうした生活が当たり前の時代が来たとき、私たちは社会や常識の概念を根底から見直すことになるだろう。そこには、きっと平安時代の貴族が享受したような、奥深い文化の萌芽があるのではないか──。メタバースがもたらす新たな時代は、そう遠くない未来にすでに手を伸ばしている。
【留保】
本稿で「平安貴族」という表現を用いているのは、あくまで“独自の評価尺度にもとづく優雅な文化”を指し示すための比喩表現です。歴史的に見れば、平安貴族が行っていた歌会や芸術活動は単なる趣味ではなく、社交や政治的駆け引きなど社会的機能を担う「仕事」の一部でもありました。したがって、本稿では「貴族的な暮らし」を単に“娯楽的で生産性のない活動”として捉えているわけではありません。あくまで「仮想空間において一見すると非生産的に見える行為にも、当人にとっては社会的・精神的意義がある」という点を、比喩的に示す目的で使っています。本来の歴史的文脈とは切り離して扱っているため、この用語の使用は平安貴族の実態を正確に反映するものではない点にご留意ください。