Vol.5 選べる世界、選べる現実 - ノイキャンとARグラスが拓く、アクセル・ワールドへの道
ノイズキャンセリングイヤホンを装着した瞬間、周囲の喧騒がすっと遠のき、自分だけの世界が広がる。この感覚、本当に素晴らしい。改めて、技術の進歩に感嘆せずにはいられない。
私たちは、常に「みんな」の中にいる。学校、職場、家庭、どこにいても、周囲には人がいて、それぞれの時間を共有している。共に過ごす時間は、温かく、心地よい。しかし、時にはその「共有」が、負担になることもある。
例えば、満員電車の中。見知らぬ人々がひしめき合い、無数の生活音が耳に飛び込んでくる。あるいは、長時間のフライト。隣席の人の話し声、赤ん坊の泣き声、機内アナウンス…逃れようのない音の洪水。繁華街を一人で歩くときでさえ、喧騒に疲れてしまうこともある。
一人になりたい。自分の世界に没入したい。そう感じるのは、きっと私だけではないはずだ。
そんな時、私は、VRゴーグルを被ってVRChatの世界に飛び込みたいと、切実に思う。現実世界の喧騒を忘れ、没入感に身を任せ、自分の好きな世界に浸ることができる。心地よい人間関係、美しい景色、そして、その世界独特の文化。しかし、当然ながら、電車の中や、飛行機の機内で、VRゴーグルを装着するわけにはいかない。スマートフォンやパソコンの画面を通して「仮想世界」を垣間見ることはできても、私が求めるのは、やはり、あの圧倒的な「没入感」なのだ。
しかし、技術の進歩は、そんな私の願いを、少しずつ、しかし確実に、現実のものとしつつある。その筆頭が、ノイズキャンセリングイヤホンだ。この小さなデバイスは、聴覚を通して、私たちを「一人だけの世界」へと誘ってくれる。スマートフォンと組み合わせれば、大音量のライブを独り占めすることだってできる。
かつて、私たちは、周囲の環境音を、そこにいる全員で「共有」するしかなかった。騒がしい場所では、誰もが等しく、その騒音に晒されていた。しかし、ノイズキャンセリングイヤホンは、その「共有」から、私たちを解放してくれたのだ。それはつまり、音の世界を、自分で「選択」できるようになった、ということだ。
もちろん、この「選択」には、懸念点もある。「そこにいるようで、そこにいない」状態を生み出し、現実世界でのコミュニケーションに支障をきたす可能性も、確かに否定はできないだろう。しかし、それは、この技術の裏返し、いわば「諸刃の剣」なのだ。
そして今、私たちの「選択」は、聴覚の世界を超え、視覚の世界へと広がろうとしている。スマートグラス、特にARグラスの普及が、それを可能にするだろう。
『ソードアート・オンライン』(SAO)の作者、川原礫氏による、もう一つの傑作『アクセル・ワールド』をご存知だろうか。この作品には、「ニューロリンカー」と呼ばれる、首に装着するデバイスが登場する。ニューロリンカーは、装着者の視界にホログラムを投影したり、仮想世界へのアクセスを可能にしたりする、まさに夢のようなデバイスだ。
ARグラスは、この「ニューロリンカー」に、確実に近づきつつある。ARグラスを装着すれば、現実の風景に、様々な情報を重ね合わせることができるようになる。例えば、道行く人の名前や職業が表示されたり、目の前の商品のレビューが浮かび上がったりするかもしれない。そして、それは、単なる情報の付加に留まらない。
現実世界の上に、全く別の世界を「レイヤー」として重ね合わせることも、技術的には可能だろう。騒がしい街中を歩きながら、静寂に包まれた森の風景を眺める。満員電車の中で、広大な草原を駆け巡る。そんな、SFのような体験が、日常になるかもしれないのだ。
「ここにいる」けれど、「どこへでも行ける」。現実と仮想の境界が曖昧になり、それぞれの「見える世界」が、ますます多様化していく。そんな未来が、すぐそこまで来ている。
今、私は、ARグラスとノイズキャンセリングイヤホンを装着し、機上の人となっている。隣席では、小さな子どもが元気に遊んでいる。しかし、私には、その声はほとんど聞こえない。そして、目の前には、現実とは異なる、もう一つの世界が、静かに広がっている。