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森美術館「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」感想

トラウマの昇華、人生を懸けて

貴女は前向きに見ることができましたか

六本木ヒルズに大きな蜘蛛の作品がある。
禍々しく刺々しい作品、素通りできないほどの存在感があるけど、今まで作品の意味をよく分かっていなかった。インパクトがあるなあとは思っていたけど、作品のコンセプトを知ってより愛おしく、重たく感じた。

ルイーズ•ブルジョア展

「地獄から帰ってきたところ
言っとくけど、素晴らしかったわ」
人には人の地獄がある。どこかのアナウンサーの受け入りだけど、なるほど私もそう思う。

ありきたりだけれど、ルイーズブルジョアの作品たちは見る人それぞれの地獄まで昇華させてくれるような厚みと重み、寄り添いの心があった。

こういう芸術家が世界的に有名になるんだなと思うと、まだまだ世界は明るいと思った。

私を見捨てないで

家出娘

ブルジョワは、1938年にパリで出会ったアメリカ人美術史家のロバート・ゴールドウォーターとの結婚を機に、ニューヨークに移住しました。本作は、その時期に制作された初期の自画像のひとつです。小さな鞄を持った絵画の主人公は、あどけなさを持ちながら前を向き、青色で表現された大海原を歩いて渡っています。遠くの地平線に見える小さな家はフランスに置いてきた家族と友人を象徴しており、未完成さが残る仕上がりからは、先の見えない旅路に対する希望と不安が伝わってきます。
本作は、1945年にニューヨークで開催された初個展で展示されました。この頃には3人の息子を持ち、妻、母親、アーティストという複数の役割をこなす事に苦心しました。また、不安に襲われることが増え、故郷を突然去ったことへの罪悪感にも苛まれるようになります。多くの受難に耐えながらも自ら選んだ道を歩んだブルジョワにとって、自身の決意を表現する「家出娘」は大切なモチーフであり続けました。

「多くの受難に耐えながらも自ら選んだ道を歩んだー自身の決意を表現する」

全体的に不安定な絵。これから先の未来への不安ばかりが頭を占めていて、だけど、表現することで昇華しようとした1人の強い女性の決意を感じる。不安定だけどその奥は力強い、そんな矛盾する表現が評価されたのかな。

母とは

かまえる蜘蛛

大きく不気味な蜘蛛が、敵や獲物に向かって今にも襲いかかろうと低い姿勢で構えています。胴体から延びる8本の脚からは緊張感が漂い、その爪は研がれた鋭い短剣のようです。
期は、糸でタペストリーを直す修復家であり、子供たちを守る保護者でもあったブルジョワの実母を象徴する大切なモチーフとして多くの作品に登場します。しかし、本作が表現しているのは、優しく穏やかな母親像でしょうか、それとも危険でどう猛な捕食者でしょうか。ブルジョクは、すべての事柄には相反する2つの意味が内在すると考えていました。それは「母性」についても同様であり、愛情に溢れた母親であっても、時には我が子を脅かし不安にさせてしまうことがあると語ります。不穏な雰囲気をまとうこの身構えた蜘蛛は、母親であることの複雑さを表現しているのです。

母とは難しい。皆誰しも唯一無二の母親がいて絶対的な存在だけど、母とは絶対的でなくて、1人の女性が急に課せられた運命のようなもののように思う。

ルイーズブルジョアからみた母親像は難しいものだったかもしれないけど、人生の中心的なモチーフにしてしまうくらいには大切で大きな存在で、だからこそ葛藤し、よい形で昇華したかったのかもしれない。

カップル

カップル」はブルジョワにとって重要な主題のひとつです。愛情や性的関心、誘惑、わだかまり、依存することの恐れと大切な人を失うことへの恐怖など、二者間の感情を表現した作品が数多く制作されました。本作では、アルミニウムで鋳造された螺旋状の2つの身体が、天井から不安定な様子でぶら下がりながら抱き合い、ひとつになります。「螺旋は混乱を制御する試みである」とブルジョワが語るように、お互いが作り出すに引き込まれながらも支え合うことで、様々な感情で揺れ動く心を落ち着かせようとしているのかもしれません。

「結局人は1人で生きて、1人で死んでいくもの」
そうかもしれないけど、誰かと一緒にいた記憶、支え合った思い出、愛し合った軌跡、そういうものがオプションとしてあると「いい人生だったな」と思えるんだと思う。

私が5年前くらいに感動した関連記事を添えて


美しい男性

ヒステリーのアーチ

頭部のない男の身体が弧を描くように反り返っています。モデルは、
1980年から2010年にブルジョワが亡くなるまで、助手として公私を支えたジェリー・ゴロヴォイで、このブロンズ像は19世紀フランスの神経科医
ジャン=マルタン・シャルコー(1825-1893)が研究対象としたヒステリーを題材としています。シャルコーは長年、女性の病とされてきたヒステリーを、その研究成果によって男性も罹患する精神病であることを明らかにしました。ブルジョワは「美しい青年の背中を反らせた無理な姿勢」の彫刻をつくることによって、ヒステリーを起こすのは女性のみであるという固定観念を覆します。本作は、無意識下にある精神的緊張のエネルギーが解放される様子を、身体の動きとして提示しています。

「ヒステリーに男も女も関係ない」
ようやく多様性が進みつつある日本で、この作品は誰かの救いになるんじゃないだろうか。
私は男性も女性も、そんなに強くないと思う。むしろ女性の方がある一部分ですごく強いし、男性は意外に弱くて脆い。男女関係なく弱さを受け入れられる世界がもっと広まればきっともっとみんな生きやすい。だから男女は支え合うのだと思うし、意外とそれでよいのだと思う。

女性が社会進出して救われるのは意外にも男性だったりするのかもね。

傷の修復

青空の修復

最終章では、ブルジョワが長い制作活動のなかで、いかにして意識と無意識、母親と父親、過去と現在との均街を保とうとしたかに焦点を当てています。晩年の作品でブルジョワは、家族や親しかった人々との関係を修復し、心を解放する方法を模索しています。1990年代後半から、自分や家族の衣服、日常生活で使用した布製品など、大切な思い出の品々を用いて作品制作を始めました。自身の過去と密接に結びついた素材を取り入れることで、死後もそれらの思い出が永遠に残るよう希求したのです。
布の断片を縫い合わせたり、つなぎ合わせたりする行為は、ブルジョワにとって、別れや見捨てられることへの恐怖を完服する方法でした。また、それは、タペストリーの修業を営んでいた母親の仕事を思い起こし、子供の頃の思い出を進す手段でもありました。布の作品は、ブルジョワの有名な「部屋」シリーズのひとつである、1997年の巨大なインスタレーション作品<物味)にも関連しています。

個人的にこの作品が一番好き。
過去の傷を自分で修復する強さが好き。
この作品を見ると「ああ、昇華できてよかったね」という気持ちになるし、私にもできるという勇気をもらう。

過去は過去なのだ。過去を現在に持ち込んではいけない、というかしないほうが幸せになれると思う。過去は過去で自分の中で昇華できれば、現在の明るい未来に向けて生きていけるのだ。

克服

意識と無意識

ブルジョワが晩年の5年間に制作した4つの木枠ガラスケースによる大型作品のひとつで、2つの直立する立体は、それぞれ意識と無意識を表しています。白い柱には、同形の布製オブジェが少しずつ大きくなって積み重ねられており、意識がコントロールされた様を表現しています。それとは対照的に、宙吊りにされ、糸を通した5本の針が刺された青い涙形のゴムのオブジェは、無意識の非合理性や、予測不可能性などを表現しています。1951年に父親を亡くして深い鬱状態に陥った後、ブルジョワは精神分析を始め、制作過程における自身の感情の役割に気付きます。
無意識へアクセスできるという芸術家に特有の能力は、贈り物であると同時に呪いでもあると考え、「芸術は正気を保証する」と宣言しました。

己を保つための芸術が誰かのためになるって幸せだと思う。どうにもならない心の闇を昇華するために創り上げたものが勝手に誰かのためになっているという形はプレッシャーを嫌い、自由でいたい芸術家にとって本望だと思う。

晩年の作品は明るく、見ている自分までが心晴れやかになるような作品ばかりでよかった。

誰しもある心の闇を克服したとき、この展示会の前向きさ、ポジティブさに改めて気づくのだろう。


すごく良かった!

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