秦の呂不韋とシュロスバーグ -転機の捉え方の違い-
▼商人から一国のトップになった秦の呂不韋
漫画「キングダム」でも見事な悪役(?)で登場した秦の呂不韋(りょふい)は、中国の歴史上の偉人たちと少し異なるキャリアを歩んでいます。商人の家に生まれ、呂不韋自身も商人としてキャリアを積み上げてきました。その呂不韋が秦の相国(国王に次ぐ地位)に上り詰めたキャリアから学びを得たいと思います。
呂不韋のキャリアで深掘りしたい点は、彼自身の大きな転機といえる秦の始皇帝の父である異人(現代では不思議な名前ですね)と趙の国で出会い、有名なセリフ「奇貨居くべし」が生まれました。
その後のストーリーは数多くの歴史書やインターネットの記事に記載の通りです。商人として財を成していた呂不韋がなぜそのキャリアをチェンジして、一国の高い地位を目指したのか。呂不韋は自身のキャリアをどう考えていたのか。もちろん本人に聞くことはできないですが、想像してみたいと思います。
▼呂不韋は商人としてのキャリアをどう考えていたのか
商人だった父の影響も少なからずあり、呂不韋は商人としてのキャリアは第三者から見れば大いに成功していました。自国にとどまらず多くの国で知見を深め、結果的に大成功を収めています。
呂不韋はその時に商人以外のキャリアを検討していたのか。調べる限りは最初から一国のトップを目指す野望は持ち合わせていなかったと思います。秦についても、元々縁があったわけではなく、趙の人質になっていた後の真の国王との出会いを「転機」として捉え、その転機に乗ったことが大きな分かれ道だったと思います。
キャリア理論の世界ではシュロスバーグの転機に対する4Sのフレームワークが有名です。4Sとは、Situation(状況)、Self(自己)、Supports(支援)、Strategies(戦略)の頭文字です。シュロスバーグは転機を乗り越えるための4Sと考えていました。呂不韋のケースも4Sに当てはめると…。
▼そもそも呂不韋にとっての転機とは
キャリアの教科書的には4Sに当てはめて考えるべきかもしれませんが、その前提条件は転機を「乗り越える」ものと定義しています。そもそも呂不韋にとって数々の転機は、彼自身からすると乗り越えるというよりは自ら創り出していたように感じます。
その根底には商人としての考え方があったのかもしれません。何かに投資をし、その何かが好転して利益を得る。最初から秦の相国を目指してのちの国王(当時は人質)に取り入ったわけではなく、どう転ぶか分からないものの、大きな転機を迎えられる可能性が高いから投資をしたのかもしれません。
現代において先の見通しが立たないことは数多くあり、見通しが立たないと動きを取りにくいと考えることもあると思います。先の結果だけを考えるのではなく、どう転ぶか分からないながらも、「転機」が及ぼす影響度の大きさで判断する方法もありと思いました。呂不韋のように思いもよらない結果になるかもしれません。