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今も昔もキャリアは重要 ‐歴史上の人物にキャリアを学ぶ‐
▼中国春秋時代に活躍した越の范蠡(はんれい)
范蠡(はんれい)は中国の春秋時代の越(中国の南方にある国)の軍人で、越王勾践(こうせん)に仕え、宿敵だった隣国の呉を破り、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた立役者の一人です。
長年、戦を続けていた呉を破り、越がこれから勢力を拡大する思われた矢先、范蠡は越(正確には越王の勾践?)のもとを去り、北上して斉の国で商人となります。
越王勾践の右腕または左腕(勾践には文種というもう一人優秀な補佐がいました)として大きな功績をあげたにもかかわらず、なぜその栄光(現代風にいえば輝かしいキャリア)を捨てる決断をしたのか?
21世紀の今、その決断をキャリアの点から考えてみたいと思います。ちなみに范蠡は斉の国で農業に従事し、そこでも成功を収めたと言われています。
▼転機で下した范蠡の判断
范蠡は越の国を去る時、同じく越王勾践に仕えていた文種にこのような内容の話をしたそうです(直接会ったわけではなく、手紙で伝えたといわれています)。
「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る」
無理やり現代の企業にとらえると、会社の成長に大いに貢献した創業メンバーの一人が、会社のフェーズが変わったことでお役御免となり、社長の命令で残念ながらその企業を去るようなイメージでしょうか。
范蠡が文種にこの内容を伝えた時、本人=范蠡は何を考えていたでしょうか。
越王勾践に仕え始めた時からいずれ去ることを考えていたのか、時間とともにその考えが芽生えたのか、詳細は分かりませんが、ライバル国を倒した越の国が大きな転機を迎えた時、判断を下すための材料は十分に持ち合わせていたようです
その材料は、これまで越の国や越王に仕え、高い成果(戦果)を上げたからこそ集められたのだと思います。中途半端な仕事ぶりでは、材料も集まらず、転機の際の判断も中途半端になってしまうと思います。
ちなみに文種は范蠡が去った後も越の国に残りました。病と称して越王勾践と距離を置いたものの、結局、勾践に自死を求められたそうです。結果的に范蠡の判断は正しかったと言えます。
▼范蠡に学ぶキャリアの考え方
3年後や5年後といった時間軸でキャリアを区切ることが一般的ですが、個人の判断が求められる転機は突然訪れることもあります。その際にいかに自身のキャリアにとっていかに最適な判断を下すことができるのか。
キャリアの選択肢が増えている今、一方でキャリア上の判断は難しさが増していると思います。最適な判断に繋げるためにも日々の仕事で成果を上げることで、范蠡のように国を去るような大きな判断も下すことができるようになるのではないでしょうか。
もしかすると、これが有名なキャリア理論の一つである「計画的偶発性理論( Planned Happenstance Theory)」なのかもしれません。