「スター」ってそんなに都合良く作れるの?
しばらく千葉に行っていて留守にしていたので、更新が滞っていました。少し真面目な話を。
羽生さんの演技に惹かれ始めてから、なんとなくフィギュアスケート界隈のことも目に付くようになった。(それまでは伊藤みどりさんしか知らなかったし、興味がなかった。)
フィギュアスケート界では、ショーの関係もあるせいか、スターを作ろうとする傾向が強いように感じる。集客はお金に直結するからだ。集客できるスターが欲しいのは明白。
2019年世界選手権当時の東スポさんの記事によると、「一人のスターだけ注目され、強くなっていくようではいずれ衰退する。誰がチャンピオンになっても不思議ではないレベルにまで持っていく。その姿勢を変えるつもりはない」と、当時の日本スケート連盟の伊東秀仁フィギュア委員長が言ってたそうな。この「一人のスター」というのは当然羽生さん。
言っていることは一理あると思う…が。「誰がチャンピオンになっても不思議ではない~」というのは、多人数のグループで売り出していた芸能界のアイドル達が念頭にあったわけではないだろうが、本音は一人のスターだけがどうのこうのと言うより、羽生さんがオリンピックの金メダルを独占しているのが目障りだったのだろう。羽生さんに、あからさまな下げ工作。お前など不要だともとれる態度。当時確かにそれなりの選手たちは男女ともいた。じゃあその人達が羽生さん無しのフィギュアスケート界隈で同じように集客できるのかというと、ファンの間でも疑問符が付いていた。羽生さん人気をフィギュアスケート人気と思ったか、同じようにスターの欲しがっているアメリカに忖度したか。元々そういう側面はあったが、あの頃から特にフィギュアスケート界は勘違いして随分好き勝手していたように感じる。その結果が今の惨状だ。
確かに「スターは作れる」とは昔から度々聞かれるセリフ。当時はネットもなく情報操作が容易に出来た時代ゆえに、生まれたセリフだろう。「今」はだれでもいつでも発信できる時代になっている。だからこそある意味、マーケティングが以前より重要な役割を担っているとも言える。上手くコントロールすれば人々の関心を一点に集め、それこそスターを作れるかもしれない。
それならば、作る側にも今まで以上に「才覚」と「先を見る目」が求められる時代となったのではないか。
ところがフィギュアスケート界隈では、昔のままの感覚でスターを作ろうとしている。アメリカ側などはオリンピックで金メダルさえ取れればスターになれると思っている節がある。もちろんオリンピック直後などはどのスポーツでも金メダルに注目されるのは事実だ。しかしショービジネスが関わっているフィギュアスケートでは持続的な人気が必要だ。
日本では、よくフィギュア関係で「世界が注目」とか「世界が絶賛」とかタイトルにあげるメディア媒体がある。一体どこの世界だろ?せいぜい狭い界隈を「世界」と言っているのだろう。
フィギュアスケートの人気凋落と言われる時代になって、日本は最後の牙城と言われていたが、羽生さんがプロになってからは日本も同様だ。一般人はスケーターの誰が勝とうが気にしてない。そうまでしてフィギュアスケートが世界で人気だと思わせたいのか。世界から注目されている中で強い日本は凄い!と言う印象操作だろうか。
ISUも、ここ数年はアワードやレッドカーペット、ついにはバックフリップ解禁など試しているようだが、どんどん方向性がずれているような気がする。
果たして彼らの望むスターは生まれるのか。彼らの望むスターというのは、自分たちのコマとなって自分たちに莫大な利益をもたらしてくれる選手だ。フィギュアスケートは彼らにとって、あくまで手段に過ぎない。
正直、能力がない人間が無理矢理スターを作ろうとすると、時代遅れのゴリ押しか後追いが主となってしまう。フィールドの違う某野球選手を引き合いに出すのは申し訳ないけれど、最近この選手の過剰な報道が批判されている。昔のやり方の感覚からアップデートできていないのか、これでもかこれでもかと言うくらいの過剰な情報量を垂れ流すのはいかがなものか。知名度は上がるだろうけど、知名度=人気ではないし知名度=評価でもない。自分で情報を集められるこの時代に、わざわざ都合の良い情報だけを大量に流して、あげくにハラスメントとか言われる始末。
これでは選手自身が気の毒になる。選手には強力なバックが付いているという噂だから、こう言うのもコントロールできるのでは?
程良くファンに飢餓感を与え、能動的に情報を集めさせるのも効果的な売り方の一つだと思うが、どうだろうか。