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「なんとなく」とは素晴らしいことなんだ

ベトナムに住み始めて間もない頃、ベトナム人の友人に日本語を教えたことがありました。
その時に「『これ』、『それ』、『あれ』の使い方が間違ってますよ」と指摘を受けたことがありました。

それから日本語教師の資格を取る時の勉強をした時、『これ』、『それ』、『あれ』の使い分けを勉強し、あの時彼が指摘したのはこういうことだったのかと納得しました。
日本人であるなら、日本語を間違えるわけがないと思いますが日本語教師のように日本語に深く携わる仕事をやっていると、一般的な日本人が細かいところで日本語を間違えてる人が気になったりします。
しかし、日本人同士の会話では誰もそういう細かいミスを指摘するのはもちろん、気にする人もあまりいないと思います。
きっと、それはみんな文法や用法などまで深く考えず「なんとなく」で話しているのだと思います。

それはどこの国も同じです。

以前描いた漫画のネームです。
これは実際にベトナム人との会話を元に描いたものです。

ベトナム語に理解のある日本人の友人のA氏とK氏にもこの話(Bánhとは一体何なのか)をしましたが、やはり日本人だけで考えただけでは答えが出ませんでした。


「Bánh」と言うのは非常に難しい単語で、日本語でピタリと言い当てる答えは無いと思っています。

リトルロータスの23話「家族とカレー」の話で俊介が「バインって単語は粉物料理」とあります。
これはベトナム語勉強界隈ではよく言われている話ですが自分はちょっと違和感を感じます。
もし「bánh đa cua」粉物料理扱いするのなら、PhởもMì Quảng もbánh 認定されるはずと思ってしまいます。

しかし私がそうやって考えるのはすごく野暮なことでこういう基準はベトナム人の会話では「なんとなく」のさじ加減で決められていて実際はたいしたレギュレーションなどないのだと思います。

ほかにも日本語で「いるは生物、あるは非生物」と言われてますが、「ドラえもん」や「おばけ」のような非生物でも「いる」というのがうまく説明つかなかったりするので同じようなものだと思っています。

これは前の記事で取り上げた「con chồn(小型〜中型の野生動物っぽいやつ) 」という単語とかも「なんとなく」のさじ加減で言われてるのだと思います。

ベトナム人(私の場合、南部人が多かったですが)が初見(ベトナムにない物をはじめて見た時)でBánh を使うときはパンのようなお菓子やサクサクしたお菓子のようなものをbánh と呼ぶと感じました。(もちろんかなり例外はあるので異論は受け付けます。)


そう思った理由は知り合いのベトナム人が日本のブラックサンダーをはじめて見た時、「Socola(チョコ)」と言ってたのに食べたあとで「このbánh美味しいね」と単語を変えていたところからでした。

他にも別の人でウエハースチョコを食べた時に「これはbánhですね」と言っていました。

それでも彼ら個人のさじ加減であり「 Bánh 」かどうかは「なんとなく」で決められているのだと思います。

日本でも動物を数えるときの「頭」や「匹」はどういう基準で分けられてるかは個人によって異なると思います。
調べればちゃんとした基準があるそうですが、きっとそこまで考えて言っている人はいないでしょう。


私はベトナムに住んでいる時、学生にどうして鳥をchìm とcon と分けているのかと聞いたことがありました。
学生たちは「あまり飛ばない鳥はcon、よく飛ぶ鳥はchìm 」と言ってましたが私は「con cò(コウノトリやサギのような鳥)はどうしてcon なのか」といって困らせたことがあります。
その時にある学生が「じゃあ、ベトナム人にchìm còと言ってみてください。」と言われました。

実際話してみてchìm cò と呼ぶ人もいるのですがcon còと呼ぶ人もいて結構その人のさじ加減で決まっているので答えがないという結論に達しました(自分の感覚ではcon のほうが多かったという印象です。)


ここまで面倒くさいことを書きましたが、結局のところ外国語を話すうえで「なんとなく」の気持ちはネイティブの会話に近づくのに非常に大切だと思いました。

そして、この記事を日本語で書いてる以上読者の方のほとんどの母語は日本語だと思いますが、時々でもいいので「この単語はどういう意味なのかな?」と考えて見てください。

意外に面白い発見があり「なんとなく」話してた単語が実は素晴らしいものだったと気づくことがあると思います。


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