マロオケのこと vol.3
今回のマロオケ東京初公演で、感謝しなければならないひとがいる。それは作曲家の三枝成彰さんだ。
三枝さんは大晦日恒例のベートーヴェン交響曲全曲演奏の企画もやられていて、自身のオペラ公演の他にもコンサートをされている。
わたしはこれまで数十人規模の小さなコンサートしか企画したことがなく、ようやく昨年、マロさんに銀座王子ホールで「マロのパーフェクト・ブラームス!」というタイトルで、ブラームスのバイオリンソナタ全曲を演奏していただいただけで、オーケストラはやったことがなかった。
三枝さんにお会いしたのは、「マロのパーフェクト・ブラームス!」の数か月前、ちょうど今から一年ほど前のことだった。
そのときはすでにマロオケをサントリーホールでやると決めていて、ホールには頭金を支払い、マロさんはメンバー集めの段階に入っていた。
わたしが三枝さんに会いに行こうと思ったのは、三枝さんがコンサートプロデュースの経験が豊富だったからで、規模の大きいコンサートの集客やノウハウを教えていただこうと思ったからだった。
それくらいわたしは無知だったし、ある程度自分ではプロデュースのイメージは持っていたとは言っても、もっと情報がほしかった。
そんな図々しい願いにも三枝さんは初対面のわたしに会ってくださった。事前にマロオケのことはお伝えして、六本木の事務所に伺った。
作曲で超多忙な三枝さんにモーツァルト6大交響曲の曲目を告げると、
「いい曲ばかりだね」
と、言ってくださった。
そして、どのようにすれば集客がうまくいくか、わたしはストレートに訊ねた。すると三枝さんはじっと黙り込んだ。それは数秒ほどだったはずなのに、その雰囲気の重さで長く感じた。
「わからない。こちらが教えてほしい。とにかく大変。いつも悩まされる…」
三枝さんはそう言うと、自身が企画したコンサートの集客事情などを話してくれた。
それは具体的な内容で、どれくらいのコストがかかり、どれくらいの集客ができて、その結果どうであったか、その金額もすべて、いわば普通なら企業秘密ということまですべて教えてくださった。
今でこそ恒例となっている大晦日のベートーヴェンも特に初回はどれほど集客が大変だったか、指揮者のマゼールを来日させたときの膨大な費用、そうしたリアルな話を聞いて、少し目まいがした。聞けば聞くほど、もしマロオケに失敗したとしたら、わたしの金銭的ダメージは大きく、下手すれば会社を潰さなければならない。
三枝さんは脅そうとして言ったのではなく、現実を知っているからこそ、クラシック音楽をやるリスクをわたしに伝えてくれた。そして、三枝さんは言った。
「やめるなら、今のうちですよ」
この言葉には強烈なリアリティがあった。マロオケの腕前、そしてモーツァルト6大交響曲というインパクト、それらには自信を持ち、勝算を見出していたのに、正直に言うと臆病風が吹いた。さらに正直に言うと、やめたほうがいいか迷った。
サントリーには頭金の段階でキャンセルもできる時期だった。マロさんはメンバーを集めに入っているけれど、まだ半分ほどしか確定しておらず、断念の意を伝えようと思えばできた。
サントリーホールが恐ろしいものに思えてきた。2006席。それがわたしに圧し掛かり、大好きな音楽、大好きなモーツァルト、大好きなマロオケで自分が自滅するかもしれない。
事実、オーケストラはどこも財政状況が悪い。音楽事務所も巨額の負債を抱えていたり、倒産したりしている。コンサートをすることで破産、もしくはジリ貧になっているのがクラシック業界だと言っていい。
恐怖がどれくらい続いたか覚えていない。ヤバいことに手を出したという気になって怖くて体が冷たくなる。しかし、わたしはサントリーホールにも、マロさんにもキャンセル依頼はしなかった。
もしキャンセル依頼してもサントリーホールはクールに事務手続きをするだけで済み、マロさんも「そのほうがいいよ」と言ってくださっただろうと思う。
しかし、わたしは自分の魂に問うた。魂のさらに奥にあるコアになっている部分。金のことや集客のことや、そうした打算的なものをすべて取り払った自分の魂の本当の部分。そこに自分の答えがある。
やりたいのか、やりたくないのか。
「やりたい」
それがわたしの魂の答えだった。マロオケで愛するモーツァルトをやり、交響曲を6つ演奏したその最後に、自分が最も愛している第41番ジュピターの、あの壮大なフーガがある。あのフーガが聴きたい。聴きたいのは他ならぬ自分。たとえチケットが売れず、観客がわたしひとりだとしても、それが聴ければいいじゃないか。
もし「やらない」という選択をするなら、その原因は金銭的ダメージの不安。しかし、その選択は大きな後悔になるだろうと思った。やりたいことを諦めてしまったときの後悔は死ぬまでつきまとう。
それならやるだけやって、全力で集客すればいい。不安を取り除くのは最終的には自分の努力しかない。逆に言えば努力すればするほど、その不安を小さくすることができる。何もやらないうちから、やりたいと確信したことをやめるのでは、何も生まれない。取越し苦労で自分の魂を否定するわけにはいかない。
そう決めると、臆病風は吹かなくなった。企画は進行し、メンバーも順に決まり、わたしはプレイガイドに登録し、チラシを印刷した。
「やめるなら、今のうちですよ」というのは、コンサートの厳しさを知り尽くした三枝さんが最大限に親身になってくれた極上のアドバイスだと思う。マロオケをやろうとするわたしを真剣に心配してくださったからこそ、出てきた言葉に間違いない。
もし「頑張れ」などと言われていたら、わたしは甘く考えてしまっていただろう。「頑張れ」というのは無責任な言葉だ。三枝さんがああ言ってくださったがゆえに、腹を括って一生懸命になることができた。
マロオケ東京初公演まで、今日でちょうどあと一か月。クラシックの集客は三枝さんの言う通り、それは過酷なもので、おそらく直前まで奮闘することになるだろう。
しかし、もしあのときやめていれば、今の自分はどんなにくだらない人間だったろうかと思う。
チケットを購入してくださるお客様から、マロオケが東京で聴けることの喜びと感謝の声が届いたりする。誰かが企画し、実行しないと音楽は生まれない。誰も聴くことができない。自分がやりたかったことにお客さんが賛同し、来てくださることで、自分の思いが自分だけのものでなくなり、多くのひとと共有するものとなる。
物事というのは、苦労があるからこそ、それを愛することができる。
だから、わたしはマロオケを愛することができる。もしコンサートを断念していたらマロオケを愛することができなかっただろう。
あのときの「やりたいのか、やりたくないのか」という自分の魂への問いかけは、つまり、
「愛してるのか、愛していないのか」
ということだったのだろう。
愛しているからこそ、人間は強くなれる。
(vol.4に続く)
マロオケ2016公式ホームページ http://maro-oke.tokyo/
マロオケ2016公式フェイスブック https://www.facebook.com/marooke/
チケットぴあ マロオケ2016 http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1540527
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