見出し画像

マロオケのこと vol.7

交響曲第38番を弾き終わったらアタッカで第41番ジュピターに入る。わたしはこれがやりたくて仕方がなかった。調性は異なるけれど、つながるはずだ。

「フルート、1本」

これが問題だった。38番はフルートが2本、そしてジュピターが1本。その他の編成は同じ。とにかく、ジュピターだけがフルートが1本。

つまり、38番と41番をつなげて演奏するとなると、38番の2ndフルートがジュピターで役がないままになってしまう。レコーディングならいいが、ステージのライブでひとりのフルート吹きがジュピターで何もしないでじっとしているわけにいかない。

しかし正直に言うと、わたしは芸術至上主義なところがあるから、38番と41番をセットでやれるならその音の実現こそが重要なのだから、フルートが1管余っていてもいいじゃないか、と冷酷に思う。

しかし、プロデューサーの立場では、さすがにそれはできない、そう思うもうひとりの自分がいる。

「なんとかしたい」

わたしは親友のフルーティスト、森本英希に電話をした。森本は関西で活動し、バロックを得意とする日本テレマン協会所属のフルーティスト。

さらに森本はマロオケでフルートを担当する中村淳二、そしてトランペットの菊本和昭の京都市立芸大時代の先輩で、よく知る仲だという。

まずわたしは38番と41番が音楽的な内容でつながっていて、これはセットだと説明した。すると森本は、

「それはわかる気がするわ」

と言った。実はこのことはマロさんをはじめ、何人かのバイオリニストに話すと、

「わかる気がする」

と、皆が口をそろえた。

そして、森本に、

「つなげてやりたい。でも、ジュピターでフルートが1本余る。どうにかならないか?」

考えてみれば無茶な話だ。どうにかなるわけがない。フルート吹きをひとり舞台から消す。これではまるでマジシャンへの相談じゃないか。

すると、森本は、

「ジュピターはファーストバイオリンとセカンドバイオリンがオクターヴで動くんや。だからセカンドフルートとして、オクターブ下を吹かせるっていうのはできなくはないデ」

なるほど。そういう手があったか。さすが自身も作曲するだけはある。

それに森本はソロもできるが、どんな奏者にも音色を合わせられる2番吹きの達人で、「らしい」アイデアだと思う。

しかし、これは苦肉の策だ。無理な要求を承知で無理に提案してくれた策。でも、38番と41番のフルート問題を解決するのはこれしかない。マロさんに相談した。

マロさんは少し考え込んだが、

「モーツァルトの楽譜は完璧だからいじらないほうがいいよ。モーツァルトを盛るとリヒャルト(シュトラウス)になっちゃう」

確かにそれは言えてる。盛れば盛るほどリヒャルトになる。それにモーツァルトの楽譜はこれ以上何も要らないというほどシンプルで、言ってみれば必要な音符しか書かれていない。余計な音が一切ない。それこそがどの作曲家より卓越しているモーツァルトの魅力。

音楽に限らず芸術は多くを用いずに深く表現する。これこそが極意。盛るのは簡単。ところがシンプルが難しい。

マーラーはベートーヴェンの楽譜を書き換えたというが、ジュピターにセカンドフルートを付け足すのは、マーラー並みのキャラと図々しさがないとできない。

あのマーラーだって、モーツァルトにだけは自分は敵わなかったと思っていたのではとわたしは推測する。そして、マーラーはベートーヴェンには勝ったと少しは思っていた気はする。

モーツァルトはいじれない。あきらめよう。曲順で行こう。そう思った。

モーツァルトがジュピターを1本のフルートにしたのは1本のフルートだからこそ、あのように自由に歌えるからだ。

結局、作曲された曲順でということになったが、後期三大交響曲を順番にやるのも悪くはないと思った。アイデアとしてはそれはありきたりで、俄然、38番と41番とセットにしたほうがおもしろいし、画期的だとは思うが。

それはマロさんと音楽評論家の奥田佳道さんでマロオケ対談をしていただいたとき、奥田さんが話したことによってだった。

短い期間で後期の三曲が書かれたのは、この三曲が大きなひとかたまりで、39番が序曲、40番が第二楽章、そしてジュピターが最終楽章という考え方もあるという話。

音楽に正解はないから、モーツァルトだってそれを狙って意図して書いたわけではないと思う。順に書いたら結果的にそうなっただけに違いない。モーツァルトだって、それを訊かれても答えられないだろう。しかし、三大交響曲が三楽章構成のひとかたまりであるという考え方は納得できるものだった。

38番と41番をセットで聴きたいという思いは今でもわたしにある。

しかし、できないようなことをやろうとするからこそ、考えは進化するものだ。

森本のオクターブのアイデア、そして、モーツァルトは盛るとリヒャルトになるという話。

モーツァルトに音符を盛りに盛ったらリヒャルトというマロさんの話は、今でも思い出してひとりで笑ってしまう。ほんと、そうだ。確かにそうだ。気づかなかったけれど、盛り盛りモーツァルトがリヒャルト。この事実はやっぱり笑えてしまう。

そう言えば、大晦日恒例のベートーヴェン交響曲全曲の演奏会にマゼールが来たとき、そのプログラムは曲順でなかったことを思い出した。その理由を今度マロさんに訊いてみようと思う。

                        (vol.8に続く)

マロオケ2016公式ホームページ http://maro-oke.tokyo/

マロオケ2016公式フェイスブック https://www.facebook.com/marooke/

チケットぴあ マロオケ2016 http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1540527



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?