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2/23「富士山と熟年夫婦」ショートショート

2月23日 富士山の日
223(ふじさん)の語呂合わせから


「ねえあなた、来年の今日、富士山に登らない?」

 ダイニングテーブルに座り、コーヒー片手にノートパソコンにかじりついて、何やら熱心に読んでいた君が唐突にそう言った。ソファに腰かけて新聞を読む僕をじっと見てくる。何かおもしろいことを思いついてワクワクしている子どものような表情。こうなったら君は止まらない。
 
「いや、もういい年だし、無理じゃないか」

 僕が何を言ったって聞きやしないことは、長い結婚生活で嫌というほど分かっている。でも一応そう言う。まずはやんわり否定するのがお決まりのやり取りになっている。

「だからこそ、でしょ。登れるうちに登っておかないと。一年でいろいろ準備すれば何とかなるわよ。」
 
 言ったって聞きやしない。分かっている。否定されることで、ますます意思を強くし、気持ちが盛り上がる君。そして僕は君にふりまわされる。やれやれ面倒くさいと思う反面、楽しんでもいる。
 
 読んでいた新聞紙を傍らに置き、老眼鏡をおでこに上げ、目頭をもむ。ずっと同じ体勢でいたせいで体も硬くなってしまった。うんと伸びをする。妻の横に座り、僕も画面を覗く。

 今日、2月23日は語呂合わせで富士山の日。なるほど、だからか。来年の富士山の日に富士山に登りたいのだな。
 富士山を登った人のブログを眺めてみると、高齢でも富士山の登山を楽しんでいる人は大勢いた。ツアーもある。
確かに一年かけて情報を集めたり体力を作ったりすれば何とかなりそうだ。

「でもよくよく考えると不思議よね」
「なにが」
「富士山って活火山でしょう。災害を起こして人々に苦難を与える恐ろしい存在なのよ。それなのに人々は富士山に魅了されてしまう。畏れてもいるのに引き付けられてしまうのよ」
「まあそうだね」
「戦った後、敵と味方が仲良くなるアニメみたいね」
「ちょっと違うと思うよ」

 思いついたことは実行しないと気が済まない君。喜怒哀楽が激しくて、たまに活火山のように、カッとなることもある君。勘弁してくれと思うこともある。距離をおきたい、一人になりたいと思うことも、一度や二度ではない。カッとなる君を恐れてもいるのに引き付けられてしまう。どれだけおそれていてもそれを超える魅力がある。

 感情の乏しい僕は、喜怒哀楽の激しい君に、自分にはない強さを感じてしまう。うんざりしつつも生命力の強さのようなものを感じてしまう。
 君じゃなかったらもっと平穏な日々だったかもしれない。平穏で、でも退屈な日々。

「今が一番若いのだから、やりたいことはすぐにやってしまわないと。あっという間によぼよぼになって何もできなくなるわよ」

 それを言うなら、今すぐに富士山に登ってしまわなければならなくなるが、言うのは止めておく。これを言ったらカッとなるだろうな、という予想はだいたいつく。活火山にさせない方法は心得ている。

 結婚して約40年。愛とか恋とか、情熱的なことはもうあまり感じない。
ただ、一緒にいることがしっくりくる。一緒にいないと自分の体の部品が一つ足りないようで心もとない。夫婦というより双子にでもなったよう。
 
 あまりカッとしてしまうと、血管によろしくない。活火山にさせないように気をつけるから、これからも健康でいて、ほどほどに僕を振り回して欲しい。あくまでもほどほどに。

(了)

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