見出し画像

善き隣人~宇田川優希投手とダルビッシュ有投手~

侍JAPANと「宇田川会」
 WBC2023は普段野球に興味を持たないような人達も巻き込んだ。放送された試合は軒並み高視聴率。見事優勝してアメリカから帰国した侍JAPANのメンバーは一躍国民的英雄に。今回一番印象に残ったのは、ダルビッシュ有投手が主催した「宇田川会」のことだった。
 
 「宇田川会」の主役はオリックス・バファローズの宇田川優希投手。宇田川投手は2020年のドラフト会議で仙台大学から育成3位で指名された。お母様がフィリピン出身のいわゆるハーフ。2022年7月28日に支配下昇格を勝ち取った。その後のCSや日本シリーズでの活躍は皆さんもご存知だろう。そのような経歴で侍JAPANに選出された、いわゆる「シンデレラマン」である。私が初めてしっかり宇田川投手を観たのはJsportsのキャンプ中継。一軍の練習に帯同していた。おどおどした伏し目がちな感じが気になった。体格も良くいいボールを投げるのにもったいない。生き馬の目を抜くプロの世界で大丈夫かな?と心配にもなった。
 とはいえ、大抜擢としか言いようがない状態で有名選手の中に放り込まれた気苦労は容易に想像がつく。目まぐるしい環境の変化に加え内向的な性格も重なり、なかなかチームになじめずにいた。そんな宇田川投手を気づかったダルビッシュ投手が半ば強引に食事会に引っ張り出すかたちで投手陣の輪の中に溶け込ませた。それが「宇田川会」である。
 
 この報道を目にして、生まれてから今までダルビッシュ投手が感じてきたであろう生き辛さに思いを巡らせた。ダルビッシュ投手もお父様がイラン出身のハーフ。ダルビッシュ投手を預かった東北高校の故・若生正廣監督は集団の中で違和感を覚えずに生きることができるように、「ダルビッシュ」ではなく「有」と呼ぶように上級生に指導したりといろいろと気遣ったという。ダルビッシュ投手はアイデンティティの確立に苦しむ思春期に、故・若生監督に救われたことは想像に難くない。それが「宇田川会」開催につながったのだろう。「自分がしてもらってうれしかったことを他人にする。」という人間として基本的なことができたのだ。
 
 このことを考えていたら、昔のことを思い出した。
 
1999年、O田さんとの出会い
 私は子どもの頃は大人達から、「合いの子かい?」と言われるほど日本人離れした顔をしていた。小学生の時は子ども達から、「ガイジン」と呼ばれ石を投げられたりかなり酷い嫌がらせにも遭った。石がこめかみに命中して血が噴き出した。
 
 人間不信を抱え心を閉ざし、他者との信頼関係を築くことが苦手なまま成人を迎えた。そんな私が変わるきっかけになったのは、1999年のこと。
 当時名古屋市内でテレホンオペレーターとして働いていた。この仕事を選んだのは、職場の人とあまり関わらなくていいということが大きかった。オープニングの1期生は100人ほどいたが、一年も経たないうちに20人ほどに減った。そのため妙な連帯感が生まれ、人間関係の構築が避けられなくなった。
 
 ある日、休憩室で一人で昼ご飯を食べた後いつものように本を読んでいたら、コールセンターのエース格のO田さんに、「小久保さん(仮名)は、ハーフ?」を声を掛けられた。O田さんは私より少し年下で外見は今でいうところのギャル系。普段はタメ口だがヘッドセットをつけると機転が利いて優秀な対応ができる人。また、韓国語が堪能で社員さんから頼りにされていた。派手な外見と普段のタメ口は気になったが一年以上一緒に仕事をして悪い人ではないと判断したので、父方の祖母が台湾出身だと正直に話した。すると即座に、「スゲエ!かっこいい!」と返された。その後O田さんと私の間に不思議な友情が芽生え、職場で行動を共にすることが増えた。凸凹コンビとからかわれたくらいに。そんなある日、O田さんから、実は在日韓国人だと打ち明けられ、本名まで教えてもらえた。そして、「小久保さん(仮名)は私と似たとこがあるから、なんかほっとけないんだよね。」と言われた。
 
 O田さんは自分が生まれ育った境遇から、似た境遇の人への自然な寄り添い方を身に着けたのだろう。ダルビッシュ投手のように。今私が周囲の方達に恵まれて生活できているのはO田さんのおかげだと感謝してもしきれない。
 
善き隣人
 私は昨年、小学校時代の恩師との関係を絶った。恩師に、「小久保(仮名)さんは自殺するか身体を売るか刑務所に入るかだから。」などと言われ続けた。しかし、だんだん「恩師が言っていることは違うんじゃないか?」と思うようになり精神科の主治医に相談。すると、
「恩師は小久保さん(仮名)のことを支配しているだけですよ。洗脳と一緒です。おかしいと気がついてよかったですね。おめでとうございます。」
との答えが返ってきた。それ以来、「善き隣人とは?」と今まで以上に考えるようになった。
 
 O田さんは自分の経験を踏まえて私に寄り添ってくれた。一方恩師はある意味私を上から押さえつけていたのだろう。そのことに気がついてから、「他人の心に寄り添える人間になりたい。」という気持ちがより強くなった。
 
 宇田川投手にはダルビッシュ投手や、先日ファームでメッタ打ちに遭い涙した時に寄り添ってくれた岸田護コーチやチームメートだったり、元気がないと案じて一軍に呼んで侍JAPANのメンバーに会わせてくれた中嶋聡監督のような「善き隣人」がいる。
 
 胸を張って投げて欲しい。

※このコラムは文春野球フレッシュオールスター2023で、「過去作の自分を超えてきたで賞」をいただきました。