さびしさと、こどくと。

 先日、ある人に「あなたはさびしそうに見えないね」と言われました。なんだかその言葉が響きました。

 確かに私はあまり「さびしい」と思うことはありません。生活を共にする人はいませんが、有難い事に両親、弟夫婦とは関係は悪くないし、遠く離れてはいますが友人もいます。まだオンラインでしかお目にかかったことはありませんが、大事に思える方々もいます。

 私は一人の時間がないと苦しくなるタチで、大好きな友人と楽しく会っていても、予定が立て込んで、来る日も来る日も人と会っていると、しんどくなることがあります。実家に帰ると3日で自分の家に帰りたくなります。人と話すことは大好きですし、楽しくないわけではない。

 でも、ふっと何の予定もない休日が巡ってくると「あぁこれを求めていた」と思わず深呼吸して、「こういう日がないと私は苦しくなる」としみじみ思うだけです。

 冒頭で私に「あなたはさびしそうに見えないね」と言った人は「僕はさびしいと思うことはあるな。孤独と思うことはないけど」とも言いました。

 私は何年か前に「孤独だな」と感じる日々を年単位で過ごしました。でもそんな時でも「さびしいな」と思うことは少なかった。それは冒頭で述べた有り難い人間関係があったからだと思います。

 新明解国語辞典によると

「さびしい」㊀自分と心の通いあうものが無くて、△満足出来ない(心細さを感じる)状態だ。
㊁身近に人の気配を感じさせるものが無く、社会(の煩わしさ)から隔絶されたような状態だ。

「孤独」〔みなし子と ひとり者の意〕周囲に△たよりになる(心の通い合う)相手が一人も居ないで、ひとりぼっちである△こと(様子)。

とあります。

 これを読むと、やはり私はあの時は間違いなく「孤独」だったと思います。でもやはり「さびしく」はなかった。これはとても幸せなことだと思います。

 さびしさとこどくと。
 似てるようで似てないような。

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