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ついに生活防衛費に手を出す課金魔…

天使)だめだめ。ここに手を付けたらいざという時に困るよ!
悪魔)なーにいってんだよ!!そんなこと言ってるから挑戦出来ないんだろ!


みたいなやつを一週間くらいやってました。

勝者、悪魔。

挑戦ってなんだろね

あ、先にお伝えしますが課金地獄してるけど、借金はしてないので笑
いつかやりそうって思われていそうですが、昔から現金派。一括決済するタイプ。車も一括で買ってました!(独り身だから出来た荒業)

でも最近の私はバグってる。
自分働けばなんとかなるなっていうのも感じてて。
いざとなったらの、「いざ」ってどのタイミングなのかわからないけど。

たぶんこのバグは、父親の相続問題を全部片づけたあたりから、起き始めていたのかもしれない。脳内整理のため記憶をたどります。

父の死から得たもの

※家族の死別とか苦手な人読まないでね。




私の父は私が結婚した2年後に他界しました。現役バリバリで町工場やってました。私の結婚式があるからって、違和感を感じながらも病院にいかなかった。
ばか!

知らせが来たのは結婚式から一週間後。
「肺がんだった。ステージ4だって」

もう!ばかばか!

なんか調子悪いなんて言えないよね。
一番楽しみにしていたのはきっと父だ。
3兄妹で真ん中長女、勝手な思い込みだけど、父は私が一番かわいかったと思う。笑

そこから闘病生活2年。頑固親父がどんどん小さくなっていった。
「工場閉めないとなー」
跡継ぎは居なかったから、いつか終わりを迎えるのはわかっていた。
だからこそ、突然の終わりを告げられる事は父自身もきっとしんどかったと思う。
工場から機械や荷物が運び出される日、父は家にいたけど立ち会わなかった。

入退院を繰り返して2年たつ頃、自宅療養の話が出た。
この時、私は夫の実家近くへ引っ越していた。父の近くにというより、私はもう大丈夫というのを父へ見せたい気持ちもあった。
その距離、新幹線で片道4時間。月に2回は実家へ帰った。
そんな生活の中、仕事を始めたものの、2ヶ月でクビ。(今は働いているときじゃない、そばに居なさいと。上司に言われた(泣))

仕事も無くなってしまい、実家へ帰ることに。(引っ越して2ヶ月で実家に帰る嫁)
母も倒れそうになっていたので、交代で病室に寝泊まりする生活が始まった。

でも、父が自宅に帰ることは無かったんだ。兄と夜中に泊まっていた日、朝方看護師さんに起こされた。
「ご家族呼べるかな。なるべく早く」
色々察してそこからはどうやって過ごしたかあまり記憶ない。

泣く暇が無い

居なくなった悲しみはあるものの、わかっていたのは大量の借り入れ。
およそ3000万。
保険金は2000万。ん?!ちょ!!父!!お金たりないんだけど!!(爆

これはダメだ。1000万も残った家族で借金返していられない。
色々法律ややこしいので割愛しますが、なんやかんやして(主に相続放棄)
自宅を売払い(ツテがあってすぐ売れた)
自宅が担保だったので家だけでチャラにしてもらいました。(こ、これでなんとかおさめてくだせぇ!!!)※工場は自宅の1階だったので引っ越し。
※一応弁護士も税理士もありとあらゆる手段使いました。法律知るって強いわ。

そこから魂が抜けたような母の生活を立て直すべく、新居を手配し、生活地盤を整え、妹がまだ独り身でいたけど、仕事が激務で居ないので全部やってきました。

この頃私の心の支えになっていたのは、義母に聞いていた言葉「女性はね、旦那さんが亡くなった後しばらくはは元気ないけど1年位あれば大丈夫。羽が生えたように活動的になるから」
という言葉の通り、母はわりとすぐ超元気になった(立ち直り早いな

パラダイムシフト

たぶん私の頭のネジが何本か抜け落ちたのは、父が他界したことかもしれない。
生きている間もずっと私に課題を与え続けた父だった。受験、就職、一人暮らし、結婚、何をするにも最初からGOを貰えたことがない。
最後の課題と思って相続もこなした。これが正解だったのかはわからない。答え合わせはもう出来ない。家売っちゃった。ごめん。

当時、私も20代で子どもが居なかったから動けたし、全部終わってみたらもう全て計算通りかってくらいのピースがハマっていくタイミングだった。
実家の片づけが終わって、夫の待つ家に戻った頃は、なんかタイムスリップしてきた感覚だった。

1人の人間がこの世から居なくなる、それが家族だったり、さらに大黒柱、会社の社長とかだった場合。周りに与える影響は結構あるな、と感じた出来事だった。

新たな課題

父は昔、私に「医療従事者か公務員になれ」とずっと言っていた。
安定して稼げという意味だったんだと思う。

勉強がそこまで出来なかった私は、病院にこそ努めていたけど業務は医療ではなく食のほうだった。独り立ちして稼いでいたらまあ良しとしておくれ。

そんなこんなで。
私、今、全く安定収入得られていません。
父のように、事業主やってます。しかも生活防衛費にまで手を付けてまた何か始めるらしいです。生きていたら何ていうんだろう。これも課題と思って私は頑張るよ。

目標は法人化して車はAudiに乗る

父の会社には株式も有限も着いていなかった。
「つけらんねーなー」っていつも言ってた。
子どもながらに父にも「本当はやりたかったこと、叶えたかった夢」あるのかなぁなんて思っていて。
だから、私が叶えてみようかなと挑戦する気持ちになっている。

今までやっていた仕事をいくつか手放して自分の事業としては1本集中する。
バイトしながら収入の柱2本で事業もガツッと回して。6年後息子が小学生終わる年に法人化します。
Audiは父がずっと乗りたがっていた車。買ったら墓参りして見せに行こうかな…(片道10時間か…笑)

まとめ

お涙話でなんか感動的かもしれないけど、結局また課金したよ、っていうお話です。
でも今回はね、もうなんか気持ちが全然違うんだ。

仕事辞めた時レベルで違う。あれもこれもやる感じじゃない。
大丈夫。ダメなときは父が止めてくれるんだ。

バイトも新しい事もあと一週間くらいで始まるから、それまでに全部かたづけられるとこ片づけよ。
記録もしていくーー!

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