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過去を喰らう
国試勉強の集中力が明らかにこの数日で切れた。
年明け一発目の記事をこんな記事にしようとしているなんて。勿体ないことこの上ない。
今まで確かに努力を重ねてきたのだが、この数日明らかに自分に言い訳をし、勉強することから逃げている。
全く勉強をしていないことはさすがにないけれど、最近再熱したお笑いのYouTubeを見る頻度が増え、勉強の時間は減った。自分に弱すぎる、と思う。あと2週間もないのに。あと2週間で全部終わるのに。
思えば、社会福祉を選考しようと決めたのは、高校2年生の頃のことで、絶対に社会福祉士に受かろう、そう思って、大学で勉強することに決めた。
そのときの私が今の状態を見たら、未来を見据えて大学受験を頑張った私が見たら、どう思うだろうか。過去の私にこの姿を見せられるのだろうか。そんなことは無い。
ここ最近、何故だか分からないけれど、過去を懐古することが増えた。勉強していない罪悪感からかもしれない。過去の私に許しを得たいのかもしれない。実際、許しを誰かが与えてくれる訳ではないのだけれど。
そんな中、私は花譜ちゃんを思い出した、ここ5年くらい聴くことはなかった。ふとしたタイミングで何故か思い出して、1番よく聴いていた、「過去を喰らう」に再会した。
この記事の題名も、曲名からお借りした。
ボカロ曲を数々手がけていらっしゃる、カンザキイオリさんが作曲されている曲で、私はYouTubeの広告で出会った。初めて、YouTubeの広告を飛ばさずに、最後まで見た。私の青春の曲のひとつだ。
記憶が正しければ大学か専門学校の広告だった気がする。
「過去を喰らう」の中にこんな歌詞がある。
夢や希望はなんだった?
やりたいことはこれだった?
過去が僕らを待っている
まさにこれは今の私で。夢や希望を、これまで色々な挫折や経験がありながらも、全部叶えて来れた。
それを叶えてこれたのは、他でもない、社会福祉士に受かるためだったのだ。
やっぱり今の私は認めてあげるためには、今、辛くても、逃げずに立ち向かうほかない。
恐らく、直前になって、ビビったのだと思う。
落ちたら、もし落ちてしまったら、応援してくれていた人たちへ向ける顔がない。過去の自分にどう責任を取ればいいのかもわからない。
私の今までの人生が否定されてしまう。そう思ってしまった。
怖いけれど、ここで逃げる道を選んでしまったら、もっと自分のことを嫌いになりそうだ。
あと少しだけ、できるだけの手を尽くそうと思う。
あのとき、嫌だったことも、辛かったことも全部この試験にぶつける。
過去を喰らい尽くしてやるのだ。