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人事という仕事をしなくても幸せになれるこの時代に私は人事を選ぶのです。

ひょんなことから始まった人事アドベントカレンダー

ありがたいことに様々な人から協力をしてもらい今日で10日目。

多くの方がテクニック的なところを書いている中、全く気にせず、自分のことを開示しようと思う笑

今回本当に申し訳ないのが笑いがないことだ。全体的に熱量がこもりすぎて全く笑いが無い。面白いやつはまた今度にとっておくのでその時に期待してほしい。

ここでやめるなら今のうちです笑

ちなみに米津さんの打上花火を聞きながら読むとすごくそれっぽく読めます笑

その中で、伝えたいことは以下のような感じ。

①調子に乗ると人は痛い目を見る笑
②人生は勝ち負けがつくほど安易なものではない
③僕がこの人事という仕事を選んだワケ
④男はいくつになってもママっ子である


■わかりやすい無双モード

「人生はEasyだ」と思っていたときの写真。

パイロット仲間とシアトルでコーヒーを飲んでいる。完全に調子に乗っているが、数年前の僕は本当に人生はEasyだと思っていた。

小学校‥バスケ部のキャプテン、優等生、学級委員何度もやり、成績優秀
中学校‥バスケ部の副キャプテン、学級委員、成績優秀
高校‥学区でもトップ高校へ。バスケ部。
大学‥AO入試で関関同立の一つにサクッと入学。学歴コンプレックス
就職‥ANAのパイロット(学歴コンプレックス払拭)

高校までバスケもできて優等生。大学は若干の妥協はあった(周りが旧帝大だらけだった)が、就活で勝ち組へ。
描いた通りに世界が動いていく感覚をずっと持っていた。

天に愛されている。願えば叶うなんて真剣に思っていた。

そんな思いを持ってずっとパイロットという仕事をやっていた。

まぁそんなことが続くわけがない笑

それはまるで、突然の別れ話みたいにやってきた。

「君はパイロットには向いていない、地上に降りるか会社を辞めるかのどちらかを考えたほうが良い」

たった一つの言葉が時に人を狂わせる。。。それから何か諸々言われたが、ほぼ覚えていない。

少なくとも、わかっていたのは僕のパイロット人生は驚くほどサクッと終わりを告げたのだった。


■スイミーは周りの理解があったからスイミーだった

肩書で生きてきた。わかりやすく飲み会ではモテた。合コンでは毎回同じ空の話をして、実家に帰れば鼻高々と会社の話をする。どこかで周りのことをバカにしていた。

僕は勝ち組であなたたちはそれ以外と。

調子に乗ると人は横柄になる。いつの間にかたくさんの人に迷惑をかけていたし、たくさん上司に文句を言っていた。内容は割愛するが、僕は会社の中でイレギュラーな存在になっていた。

空の世界はイレギュラーが起きないことによって安心安全が守られる。そんな世界からすると僕は「イレギュラー」だった。

その結果は前述したとおり。

来月のスケジュールが真っ白で出された時に、あ、本当に終わるんだと思った。

もう空が飛べない。もう飛行機を操縦できない。

納得いかなかった。たくさん抵抗をしたし、たくさん粘った。
でも結果は結果だ。なにも覆ることはなかった。


■誰のための人生か

事実を受け入れるにはメンタルが持たなかった。

飛行機に乗れなくなった。

空を飛ぶ飛行機の音が怖くなった。

トリトンブルーが嫌いな色になった。

そして何より、家族や旧友にこのことを話すことが怖かった。

挫折という言葉では片付かないほど重く、自分のプライドに押しつぶされそうになる。


「あれ?悠蔵パイロットじゃなかったっけ?」

という言葉が僕の心臓に突き刺さるのが目に見えていた。

急に世界が敵に見えるようになった。多分、このとき完全にメンタルがやられていたのだと思う。毎朝起きるのが精一杯だった。正直この辺の記憶はあんまり覚えていない。それくらいギリギリだった。

今まで調子に乗っていた男があっという間に崖から転落していく。周りは楽しいに違いないと思っていた。


ひとまず、親に報告せねば。

ただその想いだけで新幹線の切符を買った。
なん年ぶりの新幹線だったか。福岡まで帰るときはほぼ飛行機だったから親が驚いていた。

「今回はちょっと気分転換も兼ねて新幹線で帰るよ」

淡白にそうLINEした。

結果が出て、東京にいる間、ずっと気を張っていたんだと思う。実家に帰ると笑えるくらい泣いた。父も母も妹も多分ドン引きしていた。プライドもなにもかも失った息子を目の前にし、返す言葉がなかったんだと思う。

自分のプライドと弱さとそして、僕はなによりも母に申し訳なかった。

一番引っかかりがあったのは…母だった。

母はもともと同じ会社のCAだった。だから息子を誇りに思ってほしかった。空を飛んでいる、同じ会社にいる息子を誇りに思ってほしかった。

ただ、そうならない未来が広がっているから心底落ち込んでいた。


母親はやはり偉大で、意外なまでに簡単に一言で僕を救ってくれた。

「私のためではなく、今度は自分の人生のために生きなさい。それが親としての願いです。」

その一言だけだった。



■今なぜ人事をやるのか

数カ月後、リクルートキャリアにいた。

色んな会社に面接に行ったが、リクルートだけがパイロットを辞める理由を突っ込まなかった。アホかもしれないが、そこが嬉しかった。ちゃんと人を見てくれてる感覚が嬉しかった。

決して綺麗な辞め方ではなかった。エリートでも何でもない。
肩書ではなく、まんまの自分を判断してくれたのが嬉しかった。

・・・

そして今、僕は人事の仕事をしている。

人の事と書いて人事だ。僕がなぜこの仕事を選んだか。

・人の可能性を信じることができる(向き不向きの基準を否定できる)
・より自分たちがわがままに生きる(寛容な世の中を)

「向き不向き」「勝ち組負け組」という言葉が苦手だ。

人の可能性を本気で信じることが自身を救うことになるのかもしれないと思っている。人は変わるし、成長する。僕はパイロットを辞めて本当にどうしようもない状態だった。今はなんとか人事ができるようになった。

向いていないと言われたからこそ、逆にとことん人の可能性に向き合おうと思った。自分がレールから外れたからこそ、挑戦することの美しさを伝えたいと思った。

そんな簡単に向き不向きや勝ち負けのように2つにわけられないのだよと。



■最後に

この記事の公開は奇しくも母親の58歳の誕生日。

来月から一緒に大学でキャリア支援の仕事もする。

人生はなにが起きるかわからない。きっとあのときパイロットを辞めてなかったら、僕は一緒に仕事をするなんて考えられなかった。

あの時の挫折があったから、人の弱さに敏感になれた。

弱さを知ってるからこそ、人を助けたいと思った。
今がしんどい人も失敗した人も、その数だけ人は厚みが増すと思う。

自分のために自分の人生を歩む。これは実は難しいことなのかもしれない。

でもそういうワガママに生きる人を少しでも増やせると嬉しい。

人を生業にしている仕事である人事。正解がない世界、だから僕はこの仕事が最高に面白い。

今日は母親の誕生日だったので、少しだけ真面目に書きました。

今日はこのへんで。


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