「ナイチャーは嘘をつく」へ反応した私のツイートへのご批判と、それに対する見解(謝罪及び訂正含む)その②
こちらの記事は、前回の
「ナイチャーは嘘をつく」へ反応した私のツイートへのご批判と、それに対する見解(謝罪及び訂正含む)その①
の続きです。前回紹介した私のツイート
https://twitter.com/yuzo_takayama/status/1389827322283397122?s=20
に対する3つの批判、
①「ナイチャー」が侮蔑的または差別的な言葉かは文脈で変わる
②沖縄島でもやまとぅんちゅはマイノリティにはならない
③構造的差別の加害者側であるやまとぅんちゅに遠慮して、被害者側のうちなーんちゅに完璧さを求めるな
のうち、
①「ナイチャー」が侮蔑的または差別的な言葉かは文脈で変わる
についてその見解をお伝えしていきます。
こちらの批判に関しては、次のうちなーぐちの用途をまず知って欲しいです。それは
「<地名 + 「ー(er)」>は侮蔑表現」
という事です。
例)
アメリカ + 「ー(er)」→アメリカー
ウランダ + 「ー(er)」→ウランダー
内地(ないち) + 「ー(er)」→ ナイチャー
大和(やまとぅ) + 「ー(er)」→ やまとぅー
那覇(なーふぁ) + 「ー(er)」→ なーふぁー
このような言い方はうちなーぐちでは全て侮蔑表現になります。
例えば、1963年出版の「沖縄後辞典」で「アメリカ」、「アメリカー」を調べると、次のように掲載されています。
では、正しくはどのように表現すれば良いでしょうか。それは
<地名 + 「んちゅ」>
※「んちゅ」は「ぬ(〜の)」「っちゅ(人)」が合わさった形
の形です。
例)
アメリカ + 「んちゅ」→アメリカんちゅ
ウランダ + 「んちゅ」 →ウランダんちゅ
大和(やまとぅ) + 「んちゅ」 → やまとぅんちゅ
那覇(なーふぁ) + 「んちゅ」 → なーふぁんちゅ
※「ないちんちゅ」とはあまり言わない
ですので私も「ナイチャー」という言葉は使わず、その代わり「やまとぅんちゅ」と言っています。
是非こう言ったうちなーぐちの用法を、研究者またはネイティブ話者(90歳以上)に確認してみて下さい。
その上で、こう言った意見もあると思います。
「今はナイチャーという言葉を抵抗なく使う人もたくさんいるのでは?」
確かに今は「ナイチャー」を抵抗なく使う人も見かけますが、良い意味でもしくはフラットなニュアンスで使われるよりは、程度の差はあれ良くない意味や文脈で使われる事の方が現在も圧倒的に多いです。
またはこう言った意見もあるかと思います。
「言葉は時代によって意味も使われ方も変化するものでは?」
言葉は変化するものですが、戦前の皇民化教育による言語撲滅運動などでうちなーぐちが正しく継承されず、現在ユネスコから消滅危機言語に指定されるという歴史と現状があります。このように言語そのものが人為的に奪われた背景があるのなら、まずはその本来の意味を尊重すべきではないでしょうか。
ですので、本来のうちなーぐちの意味においても、現在の使用される場面を鑑みても、「ナイチャー」の意味は文脈で変化するものではなく、言葉そのものが侮蔑表現だという結論になります。
そしてもう一つ、侮蔑表現に加えてこれが差別表現かどうかについても検証します。
正直、これは意見が分かれると思います。なぜなら差別の定義や概念が人によって微妙に分かれるからです。
「差別」の意味を辞書で調べると
「偏見や先入観などをもとに,特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること」(大辞林)
「正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと」(広辞苑)
また、英語で「discrimination」を調べると
「the practice of treating someone or a particular group in society less fairly than others」(oxford dictionary)
訳)社会の中のある個人や特定のグループの人達を、その他の人たちよりも不公平に扱う行為
と、それぞれ掲載されています。
そしてこれまで歴史を振り返った時、実際差別されてきた特定の人々というのは、その出自や人種、性別など変え難い属性によって区分されてきた人々である事が多いです。
そういう意味で、「ナイチャー」という言葉は、内地出身という変え難い属性を持った特定の人々を侮蔑して扱う表現であるから差別表現とみなす事ができます。
しかし、それに対してこういった見方もできます。
これまで実際差別されてきた特定の人々というのは、変え難い属性と同時に相対的に権力を持たない、もしくは不遇な状態に置かれたマイノリティである事が多いです。
歴史上、日本の中の相対的に権力を持ったマジョリティである大和は、相対的に権力を持たないマイノリティの沖縄に対して何度も不公平、不利益な扱いをしてきており、それは間違いなく差別と呼べます。
では逆に、相対的に権力を持たないマイノリティの沖縄がマジョリティの大和に対して、その力の差がある状態で、どのように不公平、不利益を与える、つまり差別をすることができるのでしょうか。
そういった権力の非対称性や偏りを考えた時、マイノリティの沖縄から発せられる「ナイチャー」という言葉は侮蔑表現ではあるが差別表現とまでは言えない、と見なす事もできます。
以上のことから、
「ナイチャー」が侮蔑的または差別的な言葉かは文脈で変わる
というご批判に対しての私の結論は
「ナイチャー」という言葉そのものが侮蔑表現である事はうちなーぐち本来の用法から間違いない。差別表現かどうかも、文脈ではなく差別の定義や概念によって見解が分かれる
となります。
ちなみに「内地」という言葉についても最後に少し触れておきたいと思います。
沖縄では「内地」が現在も俗語的に、「大和(やまとぅ)」や「県外」と同義で使われます。
しかしそこには意図せずとも大和=「内地」、沖縄=「外地」という主従関係のような意味合いも含まれてしまいます。
よって、戦前にうちなーんちゅが大和のことを「内地」と呼ぶようになった時、その主従関係を(意識的にせよ無意識にせよ)受け入れいたか、もしくは皮肉を込めて敢えてそう呼んだか、そのいずれかの背景があったのではないでしょうか。
「内地」という言葉ももともとは1868年の明治維新以降に、大日本帝国が帝国主義的価値観の下、領土を拡大する過程で「政府の直轄地域」という意味合いとして生まれたと言われています。
その後台湾や朝鮮などを侵略し獲得した領土(いわゆる外地)において、現地の統治機構である総督府と、政府の直轄地域(いわゆる内地)である本州で、次第に行政的なズレが生じてきました。
そこで、どちらにも統一的に法令を運用するために、1918年に共通法という法律が施行されます。
その中で、この「内地」という言葉が明記されているんです。
そこでは、内地以外の地域は、朝鮮、台湾、満州とされており、「共通法」の条文上の「内地」の定義には沖縄も含まれている事になります。
しかし、1879年の琉球併合以降、旧慣温存政策などでやまとぅに比べて近代化が遅れた上に、琉球人差別もあったので、実質的には沖縄は「外地」扱いだったと、当時の大和も沖縄も認識していたのではないでしょうか。
そこからうちなーんちゅが大和のことを「内地」と呼ぶようになったと思われます。
その後、
内地(ないち) + 「ー(er)」→ ナイチャー
という新たな言葉が生まれました。
ですので「ナイチャー」は元々琉球時代から使用されていたうちなーぐちではなく、日本の一部となって沖縄県になった後、大和の言葉と混じって使われるようになった「うちなーやまとぅぐち(沖縄風日本語)」に分類されます。
以上。
次回、
「ナイチャーは嘘をつく」へ反応した私のツイートへのご批判と、それに対する見解(謝罪及び訂正含む)その③
に続きます。