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【海外駐在】中国でどぶ板営業をして、ぬかるんだ道にしゃがんで、トウモロコシをかじった話し。
ソニーに就職して、まだ3年しかたっていない頃、私は中国でとぶ板セールスをしていた。
カセットテープがすごい勢いでCDに代わっていく時代、私は、CDプレーヤーに使うレーザー部品や半導体を中国の工場に販売する仕事をしていた。
当時は、中国市場で外国企業が販売活動をするのが許されたばかりの時代で、本社からみても、中国にどれだけのポテンシャルがあるのかよく分からなかった。
香港販売子会社に赴任した私が、とりあえず、1人中国担当となった。
中国にはカセットプレーヤーを製造している工場が沢山あり、それらがCDプレーヤーに切り替わったら、それはとてつもなく大きなビジネスになる可能性を秘めていた。
深圳にある部品の販売代理店が、目ぼしい中国工場をみつけてきて、私が同行して工場を訪問するというのが主な業務であった。
まずは、広東省の工場訪問から始めた。
当初はまだ高速道路はなく、でこぼこの未舗装路を車で3-4時間くらいかけながら、工場を訪問した。
売り上げもないため、営業車もなく、タクシーでの移動である。
移動中に大きな雨が降ると、あっという間に道はぬかるみになり、信号機はブラックアウトし、大渋滞となる。
雨が降り続いている間は、車はスタックして全く動けない。
私にできるのは呆けたように、雨空を見上げ、雨が早く止むのを祈るのみである。
雨が上がると、物売りが現れる。バケツに茹でトウモロコシや、饅頭、水餃子などを入れて、渋滞で動けない車から降りて、腰を伸ばしている人に、販売を始める。
雨が上がっても、信号はブラックアウトしたままである。渋滞は全く解消しない。
十字交差点では、4方向から車が突っ込んで、卍固め(まんじがため)のようにロックされてしまっている。
最先頭では、1人が他の車に対して、お前がまず下がって俺を通させろ、そしたら、俺の後ろの車が譲るので、それから、お前が通ればよい。
と、交渉が始まるのだが、これが、らちが明かない。
俺が譲って、お前が通った後に、誰が俺に順番を譲る保証があるのだ、そんなの信用できない。
まずは、お前が俺に譲って通させろ、それまで俺は動かない。
という感じで、延々と堂々巡りの言い合いが続くのである。
当時の中国では、エレベーターの乗り降りの時なども、人々は絶対に道を譲らなかった。
エレベーターの扉が開く、中に載っている人が全て降りるのを確認してから、乗り込み始める。
この乗り方が普通である。
人がぶつかり合うこともないし、効率的である。
ところが、中国の場合は、エレベーターの扉が開くと、我先に乗り込み始める。
下手に、ここで乗り込むのを躊躇したり、降りる人を待っていたりすると、エレベーターが満員なり、乗れなくなってしまう。
私は、動かない車から降りて、側道の泥沼になっていないところに立って、卍固め状態になっている交差点を眺める。
これはどうみても、話しがまとまる様子はない。
交通警察がやってくるまで、間違いなくこの渋滞は解決しないと確信がもてる。
しかたなく、私は物売りのバケツから、茹でトウモロコシを買い、雨空を見上げながらかじった。
ソニーに入って、3年半で海外赴任になり、同期からも羨ましがられた。
香港でバリバリとインターナショナルビジネスをするはずだったのに。
それが、ドロドロにぬかるんだ道にしゃがんで、トウモロコシを食べている自分。
こんなところで、自分は何をしているのだろうと、涙目で天を仰いだ。
この時に、私は、人生は定規で線を引いたように真っ直ぐ進むものではないということをしみじみと感じたのであった。
更には、最初はイヤでたまらなかった中国での仕事が、自分のキャリアの素晴らし土台になるとは、この時には、全く、分かっていなかった。
そう、真っ直ぐな線から外れてから、人生の本番が始まるということも。