「キングダム」から見る組織論と次に繋げる布石を打つことの意味
すっかり4月も後半になってしまいました。ポストもサボり過ぎてしまって、夏野菜に向けた準備を進めているところです。代表と面談をしたりとなかなかに慌ただしい日々ですが、任せられるところは任せたりしながらやって負担を互いに少なく出来ればと考えております。
さて、メモに書き溜めていたネタがありましたので放出したいと考えています。僕も大好きな漫画の一つ、「キングダム」についてです。僕が読み始めたのはかつて農場に在籍していたKさんに勧められたことからです。
「俺がいつも読んでる『キングダム』っていう漫画があるんだよ。面白いから古泉さんにも読んで欲しい」
と言われて読み始めましたが、実に面白い。元々僕自身が趣味で歴史を学んでいたこともあり、うちの代表から「大昔の中国大陸に馬鹿な皇帝がいてな。手下から鹿を馬と呼ばせられた逸話があってな」と皮肉屋の代表らしい故事の紹介だったと今ならば思いますが、「馬鹿」の語源になった二世皇帝・胡亥と宦官・趙高の故事です。これらは「キングダム」の時代の後に起こったことであり、全て史実だと言われております。
僕も大ファンである「キングダム」ですが、舞台は春秋戦国時代の末期。永遠に続くかと思われていた春秋戦国時代も始皇帝となる嬴政が登場したことによって終わりへと近付いていくまでの物語を描いています。
題材が戦争を扱うものであるだけに実社会で使えるものが多いことも確かです。実際に僕も読んでいて「ただの歴史漫画で片付けるのはもったいないことだ」と思わずにはいられない程です。
春秋戦国時代に至る前には周王朝という各地に自分の縁者などに土地を治めさせる封建制度から成り立っていた王朝がありました。しかし、その周王朝もある時を堺に衰退し、220もの国々に分裂。生死を賭けた戦いが550年間も続くこととなります。統廃合が進んだ結果、最終的に「戦国七雄」と呼ばれる7つの国が争い合う時代になりました。
今回の「キングダム」の登場人物たちがいる秦。初めは辺境の地から出てきた遊牧民族をルーツに持っていると言われています。そんな出自だったからこそ、他国に先駆けて人事制度や法律を整え、国力を高めていきます。それが極まった時代に生まれ落ちたのが二人の主人公、李信と後の始皇帝となる嬴政です。彼ら二人から始まる秦の中華統一へ導くための果てしない戦いが始まります。
組織として必要なスローガン
「中華統一」という言葉にしたらたったの4文字。しかし、その言葉の持つ意味の重さは歴史を見ても分かるように、日本における統一とは比較になりません。統一しようにも併合したり、滅ぼしたりと時に実力行使に出なければならないこともまた多い。「キングダム」の時代である、春秋戦国時代はまさに軍事力が必要不可欠な時代でした。
軍事力をつけるには具体的には
人材
マネジメント方法
方向性
仕組み
ルール制定
ざっと書いたらこういうことなのだろうと。軍を率いる将軍を頂点として、それぞれの大隊長や小隊長を編成したり、諜報部員となる斥候を用意したりする。その下に直下の将軍や部隊長としての武将でしたり、その下には兵士たちがいて、戦略と戦術を考える軍師がいる。つまり、軍も現代で言うところの会社組織にも通ずるところがあるということです。
キングダムは兎にも角にも多種多様な人間が多数存在します。上記にも出てきた図を見ても分かるようにインドですとか、中東への接続口となる場所に近いからこそ、異民族の力を借りやすかったとも言えます。そのために王族、貴族を中心として、武将はもちろんのこと、李信たちのように一兵卒の人物たち、桓騎たちのような盗賊、楊端和たちのような異民族、そして亡国の人間とあらゆる人間が物語内に登場します。
嬴政が始皇帝となって、秦が中華統一をして終わるのが分かっている物語ではありますが、中華統一をするまでにもいくつもクリアしなければならないプロセスがあります。国を滅ぼしていく順序も大切になるように、言うなれば仕事を段階を踏まえた上で進めていくことの大切さを教えてくれています。
図を見て頂ければ分かるように秦というのは覇権を握るには中央を取らなければならないために、今現在「ヤングジャンプ」連載時点で趙の首都である邯鄲の真上にある宣安を攻め滅ぼして王家が逃げられないように手を打とうとしますが、結果的に失敗して、最後は趙国内で飢饉と大地震が起きたことで国内が崩壊し、そのスキを突いて攻め滅ぼすことに成功します。こうして、中央を取ったことで順番に滅ぼしていきますが、
韓 → 趙 → 魏 → 燕 → 楚 → 斉
最終的にこの順番で滅んでいきます。最後の斉に関しては一族が秦からの賄賂攻めで籠絡されていたこともあって、最後は戦わずに降伏したと記録にあります。結果として民衆たちは「王様は戦わずに降伏した」とこき下ろす歌を歌っていたとも言われています。「キングダム」に出てくる斉の王族はとにかくお金が大好きだと言わんばかりの描かれ方ですが、秦からの賄賂攻めにあったためにカネをもらうことに慣れ切ってしまっていたことが伺えます。つまりは戦わなくともカネがもらえるのであれば戦う意味もないと踏んでいたのでしょう。各国が滅んだのは斉が静観を決め込んで動かなかったこともまた大きいのが事実だろうと推測します。
各国の描写でも組織内の力関係、派閥抗争、内紛、和解あるいは瓦解、部隊内での対立といった現代の会社内でも起こる出来事やその裏にある人間関係もまた、物語を読む人間を惹きつけるのだろうと想像できます。かく言う自分もその一人であって、どんなふうに仕事を進めれば良いのかという参考にもなっています。
秦のマネジメントスタイル
秦王朝として中華統一を成し遂げたわけですが、マネジメントはキッチリとしていたようにも感じられます。
身分を問わない人材登用
法律を用いて人民を統治
農地開発
馬の名産地の確保
六国は秦と違って、血縁を中心とした「氏族社会」のシステムに縛られていて身動きが取れなかったからこそ、改革も出来なかったために秦に敗れ去っていったことが分かります。しかし、そんな秦も人を信じ切れなかった始皇帝の限界が死後露呈して、急転直下で国が崩壊へ向かっていきます。
秦王朝の最後と漢王朝の始まり
秦王朝も統一してからたったの15年で終わりを迎えます。
これだけ存続した年数が短いのも一括りにされた南北朝時代の南朝だったり、司馬一族が統治した晋王朝に匹敵する短さです。なぜ秦王朝が滅んだのかというと「法律だけで国家運営をするには限界があった」ということです。
法律で統治すること時代は間違いではありませんでした。儒家と法家のどちらで統治をするのかということを考えたら実務で使えるのは法家という判断になるのも理解できる話です。しかし、「AかBか」という手法は早晩行き詰まります。現に秦王朝は法律一辺倒だったために崩壊しました。あまりに法律が多すぎたために民衆が理解するにも一苦労で、ビクビクしながら過ごしていたであろうことは想像に難くありません。マニュアルがあってもそこに人の心がなければ意味がないということです。「AとB」でなくてはいけないという教訓を与えてくれます。
それと秦王朝は始皇帝に次ぐ後継者が育たなかったことも滅亡が早まった原因でした。幼少期に趙の首都・邯鄲にて人質として暮らすことを余儀なくされ、祖父が起こした戦争で殺されそうにもなり、自らの母親は曰く付きの愛人に入れ込んで自分を殺そうとしてきた。そんな状況下で人を信じろと言っても無理があったかもしれませんが、それが始皇帝という人間の暗部でもあり、限界でもあったのでしょう。
後を継いだ二世皇帝の胡亥は趙高の良いように操られ、名称・蒙恬とその弟である蒙毅は趙高の手によって処刑されます。河了貂も恐らくは蒙毅の妻になるでしょうから、河了貂自身も趙高の手にかかって殺されるのかもしれません。
その後、秦王朝は章邯という名将と武廟六十四将でもある王翦の孫であり、王賁の息子・王離がいましたが、項羽という絶対的存在の前には無力であり、あっさりと敗れ去った結果、首都・咸陽は蹂躙され尽くして滅亡しました。その後、項羽と劉邦で楚漢戦争を巻き起こした結果、劉邦が勝利し、皇帝となったことで漢王朝が興ります。
劉邦は主に4つのことを心がけたと言われています。
法律をシンプルにした
自分たちのフィールドを固め、原住民のフィールドと分けた
功臣であっても危険分子は容赦なく粛清
臣下の意見によく耳を貸した
ただ、劉邦自身も皇帝になった途端に猜疑心が大きくなってしまって、功臣の代表格である韓信、彭越といった人物たちをを粛清するのみでなく、ずっと近くで支え続けてくれた人物さえも疑い出す有様でとにかく疑われないように細心の注意を払いつつ過ごしていたとも記録にあります。源頼朝も弟・義経や有力御家人を殺害してリスクヘッジをしたように、いちばん大変なのは内部統制なのかもしれません。
結果として始皇帝は国造りには失敗してしまいましたが、万里の長城や文字、道路幅、通貨とあらゆるものを統一したために後の王朝における業務への適用がスムーズにいったと言われています。皇帝という尊称も清王朝が滅亡するまで残り続けたために、始皇帝が作り上げた中国大陸の基礎の大きさが伺えます。
世界全体のビジュアルを見たら秦王朝の統一が西側まで鳴り響いたことも伺えますし、兵馬俑もギリシャの文化圏、所謂「ヘレニズム文化」が大きく影響したことが伺えますし、年始に行った東大寺の盧遮那仏もどこかヘレニズム文化の影響を受けたことが分かります。つまり、アレクサンダー大王がもたらしたものが秦王朝、漢王朝、そして時を経て日本へと繋がったために文化形成されていったことを思うと、どこで歴史が繋がってくるかは分からないものだとつくづく感じます。
「キングダム」がどのような結末を辿ることになるのかは分かりませんが、実際に僕も読み始めた頃と状況と心境が変わっているので読む度に発見があったりもするだけに、見届けるために読み続けていきたいと思います。