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性善と性悪のグラデーションで世の中は作られる 〜論語×韓非子〜
皆様、いかがお過ごしでしょうか。3月に入りまして、花粉症に苦しんでいるところです。緊急事態宣言の機嫌も迫り来る中で、ワクチンも出始めているので少しずつでも早い収束を願って止みません。
久々の投稿で何を書こうか考えましたけれども、最近はKindleをオーディオブック化して耳で聴くことをしておりまして、読んだ孔子の「論語」と「韓非子」について話をさせて頂ければと思います。
仕事をしていく、あるいはプライベートでも人と関わっていくというのはなかなかに大変なことが多いです。優し過ぎても付け込まれる。厳し過ぎても離反を招く。バランスさせられれば一番いいのですが、「言うは易し、行うは難し」とはよく言ったもので、なかなか上手くいかないことが日常茶飯事です。そんな苦しさの中でも我々人間というものは、性善説、性悪説。言うなれば、両方を上手くハンドリングさせることで世の中は上手く回っているように感じます。
情愛だけで生きていける訳でもなく、かと言って理論や合理性だけでも世の中は回っていかない。戻り、戻されながら世界は今に至ったという方が正しいかもしれません。
そんな時代の中で色んなことを言う人というのはいつの世も出てきます。そんな人たちは2000年以上も前の中国大陸に出てきました。所謂、「諸子百家」です。その代表格となるのが孔子の論語。そして「キングダム」や「達人伝」にも登場する秦の始皇帝が強国化のため採用した法家思想の先鋭・韓非子。相反するふたつの説をグラデーションしながら回転させていくことに今を生きるヒントになるのではないかと思われます。
孔子の「論語」というのはどういう書物かと言うと「周王朝の王様の統治方法が良かったからあの頃に立ち返って政治をしよう」という、剥き出しの理想主義。
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一方で韓非子は「人というのは基本的に信頼できない生き物だし、そもそも弱い。だから法律と仕組みで制御する必要がある」という極めて冷徹にも見え、合理性のみを追求する実利主義。
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世の中というものはどちらかだけが必要という訳ではなく、状況によって使い分けなければならないということなのだろうと感じます。
確かに仕事を遂行していく上で必要不可欠なのは韓非子ということになります。仕事においては共通ルールでしたり、決まり事が必要になります。そこまで考えなくともこなせるルーチンワークに「論語」のような人間味のある理論体系はそこまで必要が無いと言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、基本的にこうした場面では法家思想が役に立ちます。
ただ、そうでない状況。ルーチンワークでは突破できない、想像性や自主性が必要とされる仕事においては普通の手段では解決できない訳ですから、ルールや合理性のみで行くのも酷なので、そこで本人を励ましたり、力を出せるようにするために「人徳」を説く「論語」が役に立ったりします。
どちらが間違っていて、どちらが正しいのかというのでは無く、どちらも正しい。つまり、使いようということです。
史上初の中華統一者は皆さんご存知の通り、秦の始皇帝・嬴政です。彼は法律で統治さえすれば国家が回りゆくはずだと考えて行動しましたが、結果として15年で秦王朝を滅亡へと追いやってしまいました。つまり、人は法律だけで縛ろうとすると杓子定規になり、動かないということの証左でもあります。
一方で秦王朝滅亡後の劉邦が建国した漢王朝は法家思想に代わる新たな思想を作ろうと、一時期は遠ざけられていた「論語」を初めとした「四書五経」を採用します。道徳を以て国を治めるやり方に舵を切った訳です。
ただ、どちらの思想も一長一短で、西洋社会がそうだったように宗教というのは支配のフォーマットとして都合がいい側面がありますから、うまいこと利用され続けてきた歴史があります。我々の日本において仏教を天皇へと権力を集中させるべく、渡来人を初めとした異文化の人たちの統制も図るべく利用した蘇我馬子と聖徳太子の思惑が動いていたのも知られた話です。
僕ら人というのは基本的に弱いです。弱いからこそ、仕組みや法律があります。だけども、それだけで心は埋まりませんから、そこに情愛が必要となる。今もまだ答えはありませんが、バランスを取り続けるために賛成・反対のどちらの意見も学ぶ必要があるように、メリット・デメリットも知った上で学んで、実行して、問題があれば改善していく。そんな地道なことの積み重ねで当たり前の話ではありますが、それだけのことで「論語」と「韓非子」を上手いことグラデーションしながら、世の中を進んでいけるのではないかと感じた次第です。