何かを伝えるために文章を書いているのではない.
「何を伝えたいのか」
この質問は、何かを言っている人間や何かを言おうとしている人間にとって鉛程度の毒性がある.
文章を書いている人間が皆同じ理由かは知りようもないが、私の場合は何かを伝えたくて文章を書いているのではなく、何かを書くために何かを伝えようとしている.
「普段何を考えているのか」と聞かれると、「いろいろ考えている」としか答えられない.
「例えば?」
「某ブランドが持つ多大なる悪影響に対して憤りを感じている、とか」
このように一つや二つを摘まみ上げて紹介するのは簡単だが、それをやってしまうと何だか「その内容を考えている事実と”考えそうな人間のイメージ像ってこんなんだよな”という幻想ともいえる感覚」を相手に持たせてしまう動機になり得そうで憎い.
それなりに、というか割と、というかかなり信用していたり見込んでいる相手にしか「例えば」を紹介したりしない.
そうでなければ自分にとって相手が無価値になってしまう.
完全に無価値になることは決してないのだけれど、それまでよりも格段に無価値側に近づいてしまう.
それが嫌なので話を逸らしたり、茶を濁したりする.
とにかく今回言いたいのは今回の内容をも含めて、何かを伝えるために文章を書いているのではなく、文章を書くために何かを伝えようとしているし、伝えている.
ということである.
「何かを伝えるために文章を書いているのではない.」
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