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素直に言うとなんだろうか.

食いっぱぐれなければ良いと思えてきた.
いくら求めているものでも大量に手にするべきじゃない.

仲の良い友人や家族との距離感を保てるだけのそれと、妻と二人で生きていけるだけのそれで十分だと思っている.
子どもを授かることができたら、もちろんその分も.

勢いがある人と時間を過ごすと頑張れる感じがする.
同時に何かが張り詰めて破れそうになる.

元気な人と一緒にいると自分も元気になれる.
でも同じ時間を過ごしすぎると元気がない人に共感できなくなる.

弱気だと言われた.
悲観的だと.
現実的だとも言われた.
結局何的なのだろうか.

素直に言うとなんだろうか.
何かが足りないのを、過分に足りているもので覆い隠している感じがする、この感覚を素直に言うとなんだろうか.

民主主義な振る舞いをし続けることは自分から相手に何をもたらすのだろうか.
長期的に見ると、私は相手のドラッグになるのではないか.
「ドラッグと言えるほど惹かれない」かも知れないけど、割と中毒性があるのを知っている.

私のことだけではなくて、人間は人間にとって中毒性がある.

自分にとっての腹七分目ってどれくらいなのだろう.
それぐらいが良いと知っていても、自分の目盛りを見つけられない.
そして人間なら当たり前だと言われる.

上下関係とか気にしたくないな.
だって自分が何かしたいと思ったとき、その衝動とかワクワクが削られる気がするから.
だって自分の熱量が奪われしまう気がするから.
(同じ内容を二度書いた)

戦前とか戦後とか、大きな節目かもしれないけど人間はそこまで変わらない.
本質が怠惰なら、全面的に悪いと言うのは筋違いかもしれない.
しかし全面的に悪いと言いながら、怠惰な本質と戦うことが人類の豊かさに繋がるのであれば、本質を全面的に悪だと言うことは前向きなことで、認められるべきことで、推奨されるべきことになるのかもしれない.

これを取り越し苦労と呼ぶのだろうか.
思考実験のようなことを考えてしまう癖は、取り越し苦労の範囲に入るのだろうか.
あれこれ気にして鬱になる人とならない人はどちらも取り越し苦労なのだろうか.
叩かなければいけないぐらいなら、石橋を渡らなければ良いのではないだろうか.
いくら急いでいるとしても、間に合うのであればリスクを負う必要はないのではないだろうか.

私は当たり前のことしか言わない.
意見が違う人からすれば何を言っているのかと思うのだろうが、私は見かけよりも当たり前のことを言っている.
私から見た視点での当たり前であることはそうだが、違う視点から見ればあらゆる違いが生まれることを知った上で口に出したり文章にしたりしている.
その程度の覚悟でものを言っているのを最低限自負している.

君が勢いのある人なら、私のことは非積極的に見えたり、悲観的に見えたり、なんだか挑戦的でないように見えると思う.

君が元気な人なら、私は元気がないように見えたり、元気がないように見えなくても決して元気があると言える状態の人間であるとは思わないだろう.

君が今悲しくて、辛くて、しんどくて、何かから逃げたいと思っているのであれば、私は挑戦的で、元気で、勢いのある人間に見えるかもしれない.

結局はケースバイケース.
時と場合と環境によって全く違うものに見える.
全く違うものに見えるという避けられない条件の中で、互いに思ったり想ったりする.

複雑すぎて疲れてしまう.
美味しいものを食べたり、好きなコンテンツを見たり、好きな場所に行ったり、とにかく好きな何かに触れてパワーを補充する.

好きなものがない人は、今だけを見れば不運と言えるかもしれない.
自分が好きだと言えるものと、未だ出会っていないからである.

どうすれば良いのかは諸説ある.
次から次に手を出すというものや、じーっと観察してときめいたものだけに手を伸ばすというものetc.

気がつくと目の前にいない人のことを考えている自分はなんなのだろうか.
素直に言うとなんだろうか.

素直ってなんだろうか.
結局誰から見た素直のことを言っているのだろうか.
わからないことだらけ.
何がわからないのかもわからず、何かがわからないことだけをわかっている.

とにかくサプリと肉と魚と野菜を食って水をよく飲んで運動して寝よう.
そうすれば自分の生物的な動物的な本能的な何か的な部分が、わからないの連鎖をどうにかしてくれるかもしれない.
引き出せるものは全て引き出さなければ.
(引き出せるものは全て引き出さなければならないところまで来てしまった感についての考察は、上記の「とにかくサプリ〜寝よう」を習慣的にやってからにする).

普段は自分の考えを整理するために文章を書いていたりするのだけれど、今回は全くそれに当てはまらないようで、後々効果を発揮する気もしている.
どうなるかはわからないけど、自分なりに頑張りたい.
応援してくれる人がいることに感謝しながら、もう少し、いや、できれば私が死ぬまで付き合ってもらおう.
その分私も全力で存在し続けるので、私が死なない程度であることを条件に、私のことを使い倒してくれたら満足だな.

感無量って言おうかと思ったけど、規模が大きすぎて現実味が湧かないというか、なんだか他人事な気がしてしまうから、あえて大きすぎる単位は持ち出さないことにした.
無量無辺とか阿僧祇とかもわかんないもんね.

マグロ・サーモン・生牡蠣・ステーキ・・・その他
嗚呼、あぁ、忘れないようにしないと.

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