僕にとっての野良猫、君にとってのインド.
インスピレーションを得たくてインドに行きたいと言う人がいるけど、自分の地元でインスピレーションやそれに近しいものを得られない人は、どこに行っても効果が薄くなると思っている.
見慣れていく中で飽きていき、もう何も発掘できないと思っている状態は「インスピレーションが欲しい」と思っている人間としては惜しい.
同じ本でも読み返すたびに表情が変わり、同じ曲でも新しい発見があったりする.
全てを採り尽くしたと思っている見慣れたダンジョンをフラッと歩いてみると、アンテナさえ張っておけば必ず新しい発見や出会いがある.
僕は野良猫を観察したり、写真や動画を撮ったりするのが好きで近所の野良猫を見れば「あの子だな」ってすぐ分かるし、見慣れない子がいたら「引越しかな」とか思ったりする.
柄とか目の色とか、体型や仕草を見たりして楽しんでいる.
一つ一つの情報に、なんだかストーリーがある気がして面白い.
野良猫は僕にとって自分が生きる世界を観察する甲斐を与えてくれているものであり、僕が世界と繋がろうと思える重要な動機の一つとして存在・機能している.
僕にとっての野良猫を持つことで、まずは地元を堪能する足掛かりになるかもしれない.
もちろん野良猫だけじゃないし、普段は忘れているだけで、再会したらまた興奮したり喜んだりする.
時には好きなものを忘れるのも良いかもしれない.
君にはまず、君が恋焦がれているインドのことを忘れるのをお勧めしたい.
「僕にとっての野良猫、君にとってのインド.」
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