祖父の形見のそのボタン
母方の祖父の四十九日法要のため、小さい頃はちょくちょく遊びに来ていた祖父母の家に来た。迎えてくれた祖母は葬儀の時の憔悴した表情からするとだいぶ落ち着いたようで、にこやかに出迎えてくれて、僕の名前を相変わらず間違える。
親しい親戚だけで行うと聞いていたけれど、その親しい人々が思ってた以上に多く、昔ながらの農家間取りでそこそこ広い居間にも座布団がひしめき、あまり面識のない親戚たちに囲まれてしまうことになった。
母はと言えば叔母たちとの四方山話や料理の準備に忙しく、僕や父のことなど連れて来たことさえ忘れているかもしれない。そんな存在の耐えられない軽さを感じた父は父で、ちょっと庭を見てくると言ってからは消息不明だ。
そして、知らぬ顔の若い男がいれば、なんの遠慮もなく素性を聞いてくるのが近しい親戚というもので、その度に愛想笑いで対応する。ただただつらいのである。
ようやく坊さんが来て読経が始まり、居間中が唱和する緩やかなグルーブに身を委ねる。これはこれで結構好きだ。気付けばいつの間にか行方知れずだった父も隣に座ってグルーブしている。
四十分ほどで法要は終わり、帰る人、残る人、思い思いに分岐していく。そうしてなんとなく法事は終わる。父と僕は少しずつ居心地の良くなる居間で母を待っていたけれど、久々に再会した姉妹たちの話は終わる気配もない。
そんな感じで手持ち無沙汰にしていると、土間の方から祖母の呼ぶ声がする。行ってみると、祖父の部屋から好きなものを持っていってくれという。所謂、形見分けだ。
僕は孫の中でも祖父に懐いていた方だったので、祖母なりに気を使ってくれたのかもしれない。二階に上がり、書斎というには小さく慎ましい部屋に入る。生前の祖父はたいしたもんではないとは言っていたけれど、本棚には農家としては不釣り合いな量の本が所狭しと並べられていて、ひとつだけある窓際には、古ぼけた机が置かれていた。
ふと、お宝探しの邪な気持ちがもたげてきて、その引き出しを開けてみると奥に小さな木箱があった。開けてみると、中には見覚えのある玩具。
へぇボタンだった。
昔流行ったテレビ番組で、紹介された豆知識に対して感心した数だけ押す、というルールで使われていた小道具のレプリカ、それもガチャガチャで取ったミニサイズの由緒正しいニセモノである。大方、遊び飽きた僕が祖父へ押し付けたか、忘れていったものだろう。
押してみるとまだ機能するものの、切れかけた電池の精一杯のがんばりでなんとか鳴っている「へぇ~」の音は低く間延びしていて、切ない。ただ、その声の調子が、在りし日の祖父に似ていて懐かしくもあった。
その呑気な「へぇ〜」を連発していると、階下から母の、もう帰るわよ急ぎなさい、という少し苛立った声が聞こえてきた。待たせたのはそっちのくせにと思いながら、へぇボタンはポケットに、空の木箱は引き出しに戻し、1階の土間へ降りていく。
祖父はその読書量に比例して博識であったので、色々なことを折を見ては教えてくれた。僕はそれに、へぇボタンで応えた覚えがある。中学に上がってからはほとんどこの家に来ることもなかったけれど、もしかすると祖父は僕のへぇを楽しみに、これを取っておいてくれたのかもしれない。
元気な内にもっと会っておけば良かったな、と思いながら、後部座席でへぇボタンを押していると、助手席の母が、今おじいちゃんの声聞こえなかった?と言い出す。
見送ってくれてるのかもね、と誤魔化した。
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