見えたら逃れられない
その洒落た佇まいの洋館の玄関先には、その様相とは不釣り合いな一団があくせくと何やら準備を進めている。
明るい笑顔で入り口に立つマイクを持った女性は、ヘッドセットを付けたメガネの男性から指示を受け、ハキハキと話し始めた。
「美術ファンの皆さんこんにちは。あとりえ発見伝の時間です。本日は新進気鋭の現代美術家、所沢三杯酢先生のアトリエへお邪魔しています」
彼女が洋館の小洒落た内装を一頻り褒めつつ邸内へ進んで行くと、ロビーのソファには如何にも芸術家然とした中年男性が、ゆったりとふんぞり返っていた。
「あぁやっと来たね」
「所沢三杯酢先生、今日はよろしくお願いします」
「はい、よろしく。あーそこに座って」
レポーターは促されるまま芸術家の向かいのソファに座る。座り心地に違和感を感じたのか、何度か座り直してから芸術家へと向き直り一礼すると、次はカメラに向かって、通り一遍の略歴紹介と幾つかの代表作に対する当たり障りのない美辞麗句を並べ立てる。その言葉を頷きながら聞いている芸術家という、面白みのない絵面がしばらく続く。
「さて、番組の恒例として、創作に当たっての必需品をお伺いしてるんですが、所沢三杯酢先生は」
「あ、三杯酢でいいよ」
「あら、それじゃ三杯酢は……」
「え、呼び捨て?」
「いや、だって三杯酢でいいと仰ったので……」
「フルネームじゃ言いづらかろうと思って、言ったんだけど」
「あぁ、失礼いたしました。それでは三杯酢先生」
「はいはい、必需品ね」
「何かございますか?これは!というものは」
両手をぱちんと胸の前で合わせ、左右に大きく広げるレポーター。
「なんで、すしざんまいのポーズなの」
「え、そうなんですか? これは!って感じしません?」
「あー、確かにしないこともないけどな」
「そうでしょう?」
ぱちん。 バッ。
「なんか気になるな。まぁいいけど。
で、創作の必需品ね。無いこともないんだけど」
「勿体ぶりますね。流石は焦らしの酢!」
「そんな名前で呼ばれたことないよ、初めてだよ。しかも酢って」
「酢先生の必需品、教えてください!」
「略すな。例え敬称付きでも全力で略すな」
ブツブツ言いつつ、芸術家はソファから立ち上がると、作業台から使い古した雲形定規を持ってくる。所々にアクリル絵の具が付着して、相当に年季の入った品だ。
「それは……武器、ですか? チャクラム的な?」
「武器、では、ない。そもそも芸術家がアトリエに殺傷武器持ってちゃダメだろ。……まぁ画材は画家の武器には違いないけどね」
「あ、いいドヤ顔、頂きました」
「うるさいよ、芸術家だってうまいこと言ったらドヤ顔するんだよ」
変わらずにこやかなレポーターとは対称に、少し決まり悪そうな表情で、芸術家は手に持った定規をテーブルに置くとその逸話を語りだした。
「この雲形定規はね、私が師匠から貰ったものでね。
免許皆伝の印、っていうと大げさだけど」
「ということはお師匠を倒して手に入れた、という認識で」
「んー、ダメだな、ダメな認識だそれは。師匠は倒されてない」
「とすると、誰を倒されたのです?」
「うんうん、一旦、戦うところから離れようか」
「戦わずして手に入れた……正に策士ということですね」
「んーもう否定するのもめんどくさくなってきたぞ」
「まぁ何しろ、かけがえのない品なんだよ」
「なるほど、(ぱちん)これは!っという逸品なんですね!」
「なんなのそれまた、流行らそうとしてんの。
ダメだよもうヨソでやってるから。社長がやってるから」
言われた彼女は、その念押しに首を傾げつつまた、ぱちん。 バッ。
「今、小さい声で『はい、すしざんまい』って言ったろ」
「言ってないですよ? そもそも、すしざんまいとは?」
「あくまでしらを切るつもりか、まぁいいや」
「あ、残念ながらそろそろお時間となってしまいました」
「え、もう? あれは? 個展のお知らせ」
「あー、テロップで出すと思います!たぶん!
あとりえ発見伝、今週はこの辺で! さよなら〜!」
□ □ □
慌ただしく撤収するスタッフをロケバスの車内から横目に眺めつつ、ディレクターはレポーターへ労いの声を掛ける。
「いやー、お疲れ様。先生怖くなかった?」
「いえー、別に普通でしたけど」
「さすがー。アーティスト転がしのマサ」
「マサって呼ぶのやめて貰えますかマジで。パワハラですよ」
先程までの笑顔からは程遠い、苦虫を噛み潰したような顔でディレクターを睨みながら、帰り支度を進めるレポーター。
「あそうだ、服部さん、打ち上げなんですけど」
ふと何かを思い出した彼女は、いつものにこやかな笑顔に戻ると、少し怯えた上司へひとつの提案を伝えた。
「すしざんまいで食べましょうよ。来る途中にありましたから」
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