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【コトリ会議】インタビュー企画⑦「山本正典」

どうも、劇団CLOUD9の小沢佑太です。
まだ半袖を着ていた頃から制作ミーティングを毎日続けてきたコトリ会議の伊丹公演が、ついに今週、開幕します。

コトリ会議 伊丹公演
伊丹市立演劇ホール(AI・HALL)
12/5(木)〜9(月)

長らく続けてきたインタビュー企画も終わりが近づいています。今回7人目は、コトリ会議作品の脚本を担当している山本正典さん。1万字を遥かに超える分量で語っていただきました。次の開演までの待ち時間にぜひ読んでみてください。

[左] 小沢佑太  [右] 山本正典

インタビュー企画⑦
「山本正典」

記事を読まれる前に…
(山本)

このインタビューは、コトリ会議演劇公演11月の稽古場で、今公演の共同制作をされている小沢さんと、山本の二人(途中から若旦那家康が来ました)で成されたものです。

雑談から始まって、途中で小沢さんが「この話されている内容が既にインタビューじゃないかしらん」と気づかれ、慌てて録音を始めました。

なので冒頭で既に、何らかの話題の途中からになっています。

また、文字起こしされたものを改めて読み直してみると、雑談の形のままで進行しているため、とても読みにくいです。なので、諸所に山本の心の声を補足しています。

以上、ご容赦のほど、お楽しみください。

「演出:コトリ会議」について

山本:与えられた役割があって、そこで一生懸命自分の仕事を全うするみたいな、そういうチームの中に僕は入りたかったんじゃないかっていうふうに思って、最近ちょっとコトリ会議で、これ失敗してるなっていうことを思って、それは「演出:コトリ会議」なんですけど、大失敗なんですよね。

小沢:ある種、役割を薄くするというか、若干透明度を上げてますもんね、役割分担っていうことの。

山本:脚本家がいて、演出家がいて、俳優がいて、その職分を全うすること、それをしないと、ひとりの頭でっかちになっちゃうと、それはチームでもないし、自分の居場所を作れるっていう環境でもなくなっちゃうんですよね。強い人がひとりいちゃうとね、っていうのを分散したかったんだけれど、それが「演出コトリ会議」悪い方向にいっちゃって。でも僕が本当に思うのは、演劇をやるんだったら、チームとして機能させるんだったら、一番おもしろいのは、ちゃんと劇作家がおって、演出家というものがちゃんとひとりおって、っていう形だと思うんですね。僕が作演出を一緒に始めちゃってから、山本の独りよがりに感じる場面が多々あって、なんか違うなって思って、若旦那さんに相談して、演出コトリ会議が始まったのですが…。
山本の心:「演出コトリ会議」は、ガツンと我を通す場面でガツンと出来ない、しなくても良い理由にしてしまったのです。演出山本の個を出さず、衝突せず、なんだか楽できるような環境になってしまっただけのような…。このままだと個の無いノッペラボウになってしまうと感じたのです。「全員演出」よりも、劇団員一人一人に、既存の枠組みに捉われない新しい名前の役職につけたいのかもしれないです。そのことに気づけたのは「演出コトリ会議」での幾度の公演を経たからだと思います。失敗は成功の親爺。)

小沢:最初は書いてただけじゃないんですか?

山本:いやもう最初から作演出で。元々役者やったんですけど、あ、雑談からインタビューっぽい自分の話になってますね。

小沢:どうぞどうぞ。なんかぬるっとインタビューはじめていきたいなと思います笑

自己紹介

山本:元々役者でやってて、そこから自分の団体をつくるってなったときに、作演出をするって決めて。

小沢:一発目からコトリ会議なんですか?

山本:実はその前に一つ僕だけのユニットとして作ってるんですけど。まず僕が作演出デビューして、そのユニットに参加してくれた人と、もうひとり、若旦那さんの前に制作をしてくれた人がいて、この3人で立ち上げて、コトリ会議ですね。作演出していて違うなと思ったのは、何か作品の方向性を決める力が強いですよねめっちゃ。

小沢:どれだけ俳優さんが読んできてくれても、脚本に対して向き合ってる時間が脚本家は桁違いじゃないですか。

山本:そうなんすよ。答えを持っちゃって、答えを出すタイミングみたいなものを測ってる自分も、何だろうな。
山本の心:「答え」というのは、台詞の執筆時に登場人物が持っていた感情のことだと思います。)

「作」「演出」について

小沢:脚本を書いて演出もして、ってことなんですけど、書いてるときって作家性の方が強いのか、演出性の方が強いのか、どっちですか? 山本さんは圧倒的に作家性やと思うんですけど。

山本:でしょう? 僕はね自分では演出性やと思うんですよ、実は。演出大嫌いなんですけど。僕は演出性が強いというのは、若旦那さんもちょっと思ってることで。僕は演出より書きたい欲が強いですけど、書いてるときも役者の配置とか想像していたり、「ここは盛り上げなきゃいけない」って、お客さんが食いつかないなと思ったら物語を脱却させて突然光線銃で撃たれたりして脚本を盛り上げるんですね。

小沢:じゃあ脚本を書いてるときに、演出が見えてるというか、イメージが結構あるんですか?

山本:もう美術も俳優の動きも全部あった上で書いちゃう。でも全部、稽古場でやってみると思ったことと違うからやり直すんですけど。だってクソほども面白くないんですよね、「こんなつもりで書いてたのに」って。
山本の心:「クソほども面白くない」は確かに言いましたが…改めて文字に起こすと酷いこと言ってる…でも敢えてそのままにしました。台本執筆中、僕は俳優を瞬間移動させたり、勝手に目を輝かせたりしてますから、それはもう稽古場での俳優の動きとの差は激しいです。こんな頭で「演出性が強い」だなんてよく言えたものだ。)

小沢:頭の中にあるイメージとみんなが読んできてやることが違うから、頭の中のイメージに合わせていくってことですか?

山本:頭の中のイメージに合わせたら、それをイメージして書いてるからそれが答えなんですけど、でも、稽古場では絶対そうじゃなくなって、初めて台詞を読んだ役者が「なにこの台詞」って戸惑って、またイチから立ち上げるじゃないですか。僕は演出性の方が強いですって言ったんですけど、みんなにやってもらうっていう脳みそが僕の中にないんですよね多分。みんなだったらこう思うだろう、みんなだったらこうしていくだろう、ここは理解できないだろう、ここは絶対不思議がるだろうみたいなことが、脚本を書いてるときに上手いこと想像できてないんですよね。

小沢:山本さんの世界の中にあることだから、それを他人がどう見てどう思うかって想像するのはめっちゃむずいですよね。

山本:絶対できない。誰もしてないと思う。あー、さっき「演出性が強い」って言ったのは違うのかもしれない、小沢さんの演出性っていうのは「だからこそみんなと一緒に作っていくのが面白いんだ」みたいなこと言ってる?

小沢:僕のやる「演出」はそっちなんですけど、今の質問の意図としては、脚本を書くときにビジュアルまで全部見えているのか、脚本は脚本として何か別の想像してるものがあるのかっていう、その感覚をお聞きしたかったですね。演出までちゃんと網羅された脚本なんだなって受け取りました。

山本:そうですね、場面転換の動きなんかもある程度考えてますね。今回、ピーピーピーがピーピーピーをピーピーピーが受け取る場面の後に、ピーピーピーをするト書きを台本に入れてるんです。あれも僕は脚本としてはいらないんですけど、俳優を格好良くハケさせたいというだけの意図ですね。
山本の心:今回の作品のネタバレになる箇所で、都合よくコトリが「ピーピー」鳴いてくれました。)

脚本について

小沢:山本さんの脚本にはすごい余白があるなと思っていて。例えば句読点がないじゃないですか。あれは山本さんのオリジナルなんですか?

山本:ある作家さんが句読点を使ってなかったんですよ。その方の戯曲を読んで、句読点ないのカッコいいなって。その作家さんは傍線で、役者の沈黙の中の有限を引き出すというか、それを書いてるんですけど、なんかね、そういうね、カッコいい形があるんですよ。

小沢:え、かっこよさだけなんですか?

山本:形もそうですけど、これでお前たち読み解いてみやがれっていう笑 そういうかっこよさもあります。

小沢:笑 例えば疑問符で書いてたら疑問で解釈するけど、これが「?」じゃなくて、空白だけやったら断定としても使えるし、そういう余白を残しているという意味なのかなって思ったんですけど。

山本:かっこいいからって言いましたけど、それも結構ありますね。余白というか、押し付けたくないみたいな。最初に句読点抜かしたときから作演出やったんで、どうしても自分の力が強すぎるみたいな、俳優を生き生きさせるために余白をあえて残すっていうのは思ってます。

小沢:それは効果としては出てますか?

山本:出てない。なんでこの台詞こうやって読むんだろうっていつも思いますもん。句読点めっちゃつけたいです。

小沢:つけないんですか?

山本:つけてもいいですよね。でもビックリマークとクエスチョンもつけちゃったら、実は自分の頭の中では半分ぐらいはビックリマークなんですよ。

小沢:超裏話や。

山本:大体切羽詰まってるひとばっかり出してるんで、

小沢:内面は焦ってるんだけれども、表に出てくる空気感はゆったりみたいなそういうイメージがあります。

山本:ゆったりしているんだけれど焦っているみたいな、それを出そうと思ったら、まず焦りみたいなものをしっかり核として持ってできるような身体でいないと、ゆったりは出せないと思うんですよね。なかなかそこまで行くには時間かかるんだろうなと思いながら。原さんが今回、最初みんなで読みをしたときに「この台本は、一段上の緊張感でもってやらないと難しいよね」って。

小沢:今までのと比べるとですか?

山本:いや、いつもです。OMS戯曲賞をとった『セミの空の空』っていう作品も、1シーン目で夫婦の話、妻が帰ってきて「もう私決めた」「明日もう私死ぬね」ってところから会話が始まって、次のシーンでは夫ではない別の男が山の中に佇んでいて、幽霊になった妻がおって、その2人で生首を見ているシーンから始まって、だいぶね、状況としてはだいぶ切羽詰まってる、

演劇にする上で大事にしていること

小沢:そういう山本ワールドみたいなのはどこから生まれてくるんですか?

山本:そこはでもやっぱり演劇で役者の身体が一番面白い状態って何かなっていうところからつくりだすんですけど

小沢:録音前の話で「演劇はスポーツだと思ってる」って言ってらっしゃったのはそこに繋がってくるんですね。

山本:そうそう。サッカーとか野球とかもそうです。ちょっと構えて、くるぞっていう状態から始めるっていう、その瞬間身体を緊張させますよね。

小沢:身体性に着目していったきっかけ、根っこにあるものってなんですか?

山本:演劇は、やっぱりお客さんがまず観るのは役者なので、その役者が躍動する姿を見ないと、僕は演劇にする意味はないのかなと思ってます。だから結構、僕はお客さんには言葉を読まなくていいと思うんです。身体だけで「え、あ」みたいな、そんな言葉だけでもいいかなと思いながら、身体が面白い、風景が面白いというところまでお客様がいってくれたら面白いのになと思いながら。

小沢:すごいですね。山本さんのことや台本を評価している人の印象と、山本さんご自身がしようとしていることの印象がめっちゃ違うんじゃないですか?

山本:めっちゃ違うんですよね。めっちゃジレンマなんですよ。

小沢:苦しくないですか?

山本:苦しい笑 演劇じゃなければ、台本じゃなければ、もっとこういうふうに展開していけるのになとか。でも台本の流れ的にそろそろ誰かびっくりしないと駄目でしょとか。

演劇をやる理由

小沢:そんなに苦しい中でなんで演劇をやってるんですか?

山本:わからないんですよ。でもそれは、やっぱり自分に居場所があって、コトリ会議を立ち上げたのは僕ですけど、幸福なことに、牛嶋さん(=花屋敷鴨)が入ってくれて、辞めた人もいて、若旦那さん入ってきて、他にもいろんな劇団員さん入ってくれて、辞めて、晩さん、まえくん、原さん、凪詐ん(なぎさん)、丈太郎さん、みどりさん(=川端真奈)ってみんな入ってきて、居場所ですよ、本当に。この居場所のために何かをしたいと思ったときに、みんなが一つ頼りにしてるのは僕の台本だろうなって思うので。台本はみんなのために書きたいって。

小沢:今1人ずつインタビューしてるんですけど、みんな「対ゲキ」の話が必ず出てくるんですよ。あれをきっかけに集まってきてるのが今のメンバーなのかなって。

山本:あれも酷かったですけどね。でもあれがなかったらコトリ会議はもうないですからね。
山本の心:めちゃ過酷でめちゃ楽しかったんです、三劇団での五都市ツアー公演の「対ゲキ」。ただでさえ狭い楽屋に巨大ロボットの舞台装置持ってくる劇団とかあったし…)

書きたいこと

小沢:若旦那さんがもうずっとしきりに「山本さんはもっと評価されるべきだ」って「何とか山本さんにスポットライトを当てたい」って仰ってたんですけど、丈太郎さんも同じこと仰ってて、「僕の仕事はそれなんだ」みたいな。

山本:いや嬉しい、ありがとう。みんなもそれで次の仕事、新しいきっかけになるかもしれないと思うとそれは嬉しいですよね。ただ書き手としてはどうしようみたいな、ありますよね。

小沢:意外ですね、書きたいものを書いてそれが立ち上がっていってるのだと思い込んでました。

山本:ないですないです。でも書けない自分が言うのもなんですけど、面白い状態なのかな、何が自分は書きたいんだろうと悩みながら、それでも書き進めていく状態が、今の自分なのかなって。そんなもんですよ、そんなもんって偉そうには言えないけど。

小沢:今回の『おかえりなさせませんなさい』はどこから書き始めたんですか?

山本:タイトルです。助成金的に1年前に決めなくちゃいけなかったんで、今回はタイトル先行ですね。

小沢:普段は違うんですか?

山本:普段はパッと浮かんだシーンがあって『セミの空の空』はそっちですね。

小沢:多分菅本さんが聞きたい質問していいですか?

山本:菅本さんが聞きたいなら菅本さんじゃないと答えないですよ。答えちゃうけど。

小沢:僕は観てないんでね、ちょっと言われてもわからないから多分僕だけやったら聞けてないですけど、菅本さんやったら『セミの空の空』はどこのシーンから書き始めたんですか?って絶対聞くと思います笑(菅本注:たしかに笑)

山本:果てしなく真っ暗な一本の線路、真っ暗闇な夜中の線路で、夫が亡くなった妻の残骸を探してるっていうシーンがあるんです。『セミの空の空』の場面は三つあって、まず夫婦の話、その夫婦は最初の場面で妻が「私も明日死ぬね」って言って、本当に電車にはねられて自殺したんですよ。次の場面では、山の中でその死んだ妻と見知らぬ男が山の中に立って「葬式はどうでもいいやつにしてほしい」って、見知らぬ男と妻がちょっと危うい関係の中で進行していく場面で、あとは電車に轢かれてバラバラになった妻の残骸をDNA測定器みたいなのを持ちながら夜中の線路の中でずっと探してる夫の場面。最初に、ずっと妻の残骸を探してる男の途方もなさを想像しました。(菅本注:私は冒頭の「二酸化炭素」「うん」のやり取りと、「雪子 どこにいるの」が思い出し感動できるくらいめちゃくちゃ好きです)

小沢:それはそういうシーンがあったら面白そうだな、から始まるんですか?

山本:それはもう「山本の全て」に聞いてみないとわからないですよね。スッて浮かんだんです。

小沢:今回の、例えばヒューマンツバメとかっていうのが出てくるじゃないですか。どこから思いつくのかなと。

山本:ヒューマンツバメは褒められたアイデアではないと思うけど…。「おかえりなさせませんなさい」は今回アイホールのために考えたんですよ。

小沢:閉館の発表がありましたね。

山本:僕らは今回の芝居は本当にもう最後のつもりでやろうってつくったので、若旦那さんに「山本くん、タイトル何がいい?」って言われたんで、僕は「もう帰れない場所にします」って『おかえりなさせませんなさい』ってタイトルで、舞台は喫茶店って決めてますけど、ちょっと他のインタビューでも言ってるんですけど、僕が勝手に恩師にしてる人のお芝居を初めて見たのが、アイホールでの喫茶店の芝居だったんです。

小沢:タイトルがあって、喫茶店っていう場所があって、

山本:そこで何しようっていう…ヒューマンツバメはなんで出てきたんだろう。

小沢:そう「なんで出てきたんだろう」「ここの会話、どっからそうなるの」がたくさんあって。なにか実体験を抽象化して、別の具体に落とし込んだらヒューマンツバメになったとかじゃないんですよね?

山本:ないんですけど、でもツバメは結構日本人と親和性が高いですよね。うちはド田舎出身なんですけど、家によくツバメが来てたんですよ。この前実家に帰ってびっくりしたんですけど、家の正面玄関が解放されてて、二重扉になってるんですけど、田舎なんでごっついドアでガラガラって開けたら、その表側が開放されて、中の空間っていうんですか、がツバメの巣だらけになってて「閉めないの?」って言ったら、「ツバメが来るから閉められへん」って。

小沢:じゃあ結構ツバメは身近にいたんですか?

山本:一回、車庫の中に自転車を止めてたらカゴの中で雛が死んでたってこともありましたからね。中学生ぐらいのときかな。いじめられて落とされたのかもしれませんね。

小沢:そういうのは書いてるときに思い出したりするんですか?

山本:書いてて思い出しますね。でも書きながら、今もそうですけど、なんでツバメにしたんだろうなと思いながら。よく考えたら、ヒューマンツバメって、ツバメの身体は別に頑丈じゃないじゃないですか笑 戦車の球を跳ね返せるって、全然ツバメじゃない。何でツバメにしたんだろうって。でも鳥っていうのは思ってました。最初は渡り鳥と留鳥で名前を区別させてたんですよ。最初は留鳥、そこにとどまってる人たちの話を書こうと思ったんです。ってなったら何か動きがなくなってどうしようってなったときに、ツバメがヒョウヒョウってブーメランのように頭の中に飛んできて。これだってなって。なんでそれがヒューマンツバメになったのかは分からないけど。

小沢:鳩とか鳥とかって帰巣本能が強いって言うじゃないですか。その辺も帰れるか帰れないかっていうことには近いものがありますよね。

山本:そうなんですよね。小沢さんは一人暮らしされてるって仰ってたじゃないですか。どうですか。家というものは、実家というものは、みたいなことを考えませんか? ご実家はちなみに戸建てですか?

小沢:マンションなんですけど、そんなに遠くないんですよね。これ晩さんがインタビューで仰ってたことにも繋がるんですけど、大学時代、僕は祖父母宅に居候しながら大学に通ってて、それで家族と初めて離れました。たまに実家に帰ると、親を他人として見えたというか。一人暮らしを始めた後も、たまに帰ると対等に喋れるようになってたりとか。

山本:生意気な息子になって帰ってきたんだ。

小沢:かもしれないですね。ずっと家にいた頃とは自分の家族に対する見え方が変わったなっていうのがありますね。

山本:過去には帰れないですよ。「お帰りなさい」とか。

小沢:そうですね。実家やから「ただいま」って言って帰るけど「お邪魔します」に近いなって思いながら「ただいま」って言ってますね。確かに。

山本:寂しいですけど、お互いにきっと寂しいんですけど、そういうもんなんですよねって思って。

小沢:「ただいま」って言ったら「おかえり」って言えるし、向こうも。

山本:ね。すごい思いますよね。変化していくんだなって。こんな小さな家庭でも、人間1人でもそんなふうに思うんだから、世界はどんどん帰る場所を失っていくかと思いきや、僕ら必死こいて新しい居場所みたいなものを求めて、自分が帰れる場所みたいなものは常に意識して模索していって、ね、いつの間にか在ったり、無くなったり、してますもんね。「ただいま」「おかえり」って言える場所を皆んな求めてるんですよね、本当に。なんかいつの間にか話題が深いですね。

小沢:いいですね笑 

山本:でも今回の作品を見ても全くそんなことはわからない。

小沢:でもそういうのも込められてるんだろうなっていうのはめっちゃ感じますけどね。

山本:こんなん言ったらめっちゃ無責任ですけど、どうせ込められるだろうなと思って書いてますよ。

小沢:書いてたら感傷的になりすぎそうやったってことですか?

山本:そうそう、なんか説教臭くなるというか、押し付けちゃうんですよね。そうなると、自分はちょっとアレルギーを起こしちゃって違うことしたくなっちゃう。いい話だけにはしたくないんですけど、どうせいい話になっちゃうんですよ。元がこうだから。
山本の心:「いい話」ってなんでしょうね。泣けるってことなのかな。よく分からないですね。)

小沢:それはもう山本さんの人柄じゃないですかね。

山本:難しいですよね。劇団員の中にも勢力があって、いい話をしたい勢力と、いい話が嫌いな勢力と。イメージできるかもしれないけど。言われなくてもわかっとるわいって。話を良い塩梅に落ち着けるの難しいんですよね。

小沢:山本さん自身の中でもせめぎ合ってるし、劇団の中でも「演出:コトリ会議」がうまく機能してないっていう部分もあるかもしれないですけど、そこでみんながラストどうするかっていう演出における主張が分かれるっていうのは、あんまり演出が1人のポジションだとないことなのかなと思ったり。逆に、どっちに行くかっていう答えを必ずしも出さなくてもいいんじゃないかなとか思ったりもしますね。

山本:みんな思ってるのは、(入り口に向かって)お疲れさまです。

小沢:お疲れさまです。

若旦那家康、登場

若旦那:インタビュー中?

小沢:そうです。

山本:上演を観てもらう対象は誰かといえば、それはパッと思い浮かぶのはお客様になるんですけれど、台本はまず劇団員のため、劇団員が面白いと思ってやれる土台を作るんだみたいなことが僕の脚本づくりなんで、みんながいいバランスで、納得できるようなところに持っていけたら嬉しいなって、まずそこですよね。お客さんが面白いかどうかは、あえて言うなら二の次というか、答えの思いつかない、これはどう演じたらいいの?という役者の状態を狙ってくっていうバランス。

小沢:浅い状態でお客さんにラストを委ねるって無責任な気はするんですけど、せめぎ合った末の、いいものといいものをぶつけ合った僕らの成果がこれですっていうのは、ある種、お客さんへの寛容さなのかなとか思ったり。

山本:僕が演劇を観て楽しいときはそれですよね、「いろんな人が混ざっているな」と思ったときはおもしろいですよね。

小沢:作品を観たときにいろんな色が結集してここに一つになってるんだっていう。でもそれってめっちゃ絶妙ですよね。やり方次第で真っ黒になっちゃうじゃないですか。全部の色をカラフルに残すことができるかどうかってすごい絶妙なバランスやなって思います。

山本:絶妙なバランスなんですよ。何の話でしたっけ。こうやってインタビューであることを忘れて適当なこと繰り返してるから駄目なんですよね。新しい話しましょう。

小沢:ちょっと未来の話でもいいですか。なんか逆に喋りたいことありますか。

山本:喋りたいことですか。今日は、どうやって僕の話ではなく小沢さんの話をインタビューに載せようかって。

小沢:負けないぞ笑

山本:僕のことは他のインタビューで話してるじゃないですか。だから何を話しましょうね、

小沢:せっかくなのでコトリ会議の話を聞きたいです! コトリ会議も結構長いですよね。

山本:長いっすよ、おじいちゃんですよ。

小沢:何年生ぐらいですか。

山本:だって結成は2007年でしょう。

小沢:17年。来年成人ですね。今後のコトリ会議がどうなっていってほしいとか、野望ありますか?

コトリ会議としての野望

山本:野望ですか。決めちゃったら面白くないですよね。

小沢:どうなるかわからないところに飛び込み続けるってことですか。

山本:そう、どうなるかわからないっていうかこうしようって言ってもどうせ誰もそうしてくれないんだから。誰もそうしようとしないんだから。
山本の心:山本はなにをしようとしていたんだ…。)

小沢:明確な何か目指してるものがあるというわけではないと。

山本:でもOMS戯曲賞をいただいて、その責任感みたいなものがあるんですよ。

小沢:意外とそっちの方が強いんですか? 自分の書きたいという欲ではなく。

山本:今それで動かしていただけてるっていう、他力ですよね。他力で動かせてもらってるっていうのはすごい感じますよね。でも外からはそんなに圧力ないです。OMS戯曲賞とったって言っても、もう3年ぐらい前の話やから。

小沢:とはいえ、毎年その戯曲賞の話になったら名前が出てくるわけですよね。

山本:うちの兄ちゃんがすごいんですよ。実家帰ったら「おまえいつまで演劇続けてんだ」って言われて、そしたら母ちゃんが「戯曲賞とったんだよ」って言うんですけど、「毎年誰かがとるんだろう」って。

小沢:厳しい笑

山本:兄、厳しい〜と思って。だから別に胡座をかいてるわけじゃない。勝手に責任を感じるだけで、そんな責任を背負わなくても世界は勝手に進んでいくんだけれど、ありがたいことに僕は賞をいただいたから、そういったものを糧に何とか動いてるっていう。あと劇団員が「やりたい」って言ってくれるんだったら、みたいな、もう本当そんな感じですよね。だから将来は誰にもわかりません。

小沢:面白い。山本さん個人としては何かやりたいこととかないんですか?

個人として今後やりたいこと

山本:運転免許を失効しちゃったんですよね。

小沢:更新しなかったんですか?

山本:しなかったんですよ。

小沢:忙しくて?

山本:いや忘れてて。免許は大学のときにとったんですけど、当時は奈良県に住んでて、そっから大阪に引っ越したタイミングで更新の時期と重なったんで。

小沢:ものすごい前?

山本:めっちゃ前です。もう取り直さんとだめですね。それが人生の五大汚点の一つですよね。免許失効って超面倒くさい。(菅本注:わかる…私も失効したことあります…)教習所で言われませんでした? 失効だけはやめとけって。こんなに面倒くさいんだぞみたいな、なんか試験があるじゃないですか、あれ絶対落とすからって。結構知り合いに何回でとれたか聞いたんですけど、一番最短で8回、やっぱその都度、1万か2万払わないといけなくて、10万ぐらい払ってるんですよそれで。

小沢:いまからまた免許取りたいんですか?

山本:いや、免許ほしいですよね。今YouTubeで今なんかすごい僕、バンの一人旅みたいな、あれやりたい。

小沢:旅が好きなんですか?

山本:そうですね、家にいることが苦手なんで。ゲームが好きなのに、家にいることが苦手で。

小沢:台本はどこで書くんですか?

山本:平日も朝は4時半とかに起きて、そこで1回頭を回転させて、回転させても台本は書けないんですけど、家で頭を回転させて、6時ぐらいに家を出るんですよ。それから職場の近くの喫茶店に1時間ぐらい篭って書くっていう感じ。土日はもう朝7時に近くのファミレスが開くんで、そのファミレスに行って、そっから午前中書いてっていう。

小沢:え、寝てます?

山本:寝てます寝てます。僕、本当は稽古なかったら夜9時に寝てます。健康的でしょう。


小沢:健康的。うらやましい。どうしても演劇やってると夜遅くなっちゃうじゃないですか。どうやってリカバリーしてるんですか?

山本:リカバリーはできてない。

小沢:結果的に演劇やってたら寝不足になるじゃないですか。

山本:なりますね。無理です。リカバリーはできない。

若旦那:仕事を変えるしか。

山本:稽古を20時までにしたらいい。

小沢:そうですね、スーパーも空いてて買い物して帰れるし。平日に稽古しようと思ったらもう仕事が4時ぐらいに終わらないとだめです。

山本:そんな仕事はない…

若旦那:市場。

スマホゲーム

山本:若旦那さんのポケモンGOの話をしましたからね。若旦那さん「俺はゲームをスマホでしないんだ」って言ってたのに、ポケモンGOを入れちゃったって。
(山本の心:なんでいきなり話題をかえたんだろう)

若旦那:もう大変だよ。

小沢:僕も一緒です。ゲーム入れたら絶対ハマると思って、ツムツムとかやってたときに気づいてこれやったらあかんわって、僕なんでツムツムにこんな時間消費してるんだろうと思って。

山本:いやわかる、ツムツムは面白いですよ、ハートがいい感じで回復してくるんですよ。でもそこでゲームやってる僕たちは気づくんですよ。じゃあしょうがなくない自分って何だって思ったときに、俺たち人生全てがしょうもないって。だからゲームをしてもいいんだって。でもツムツムはやばい、時間泥棒だ。

小沢:そうなんですよ。あとなんかめっちゃしんどくても、単純作業のゲームってできちゃうじゃないですか。あれもなんか俯瞰したときにキツくて。何してんだろう自分みたいな。早く寝たらいいのにって。しんどいんやったら寝ろよとか思いながらやっちゃってるから。

山本:ちょっと待って。これインタビューは続いてますか?

小沢:続いてます。

山本:菅本さん、絶対インタビューしてないじゃんって思ってますよ。
山本の心:このインタビュー録音の文字起こしをしてくださってるのが、共同制作の菅本さんなのです。)
(菅本注:自由だなーって思ってます笑)

山本:未来の話でしたね。

脚本『おかえりなさせませんなさい』について

小沢:運転免許取りたい、旅したい、家にいるのが嫌。でも、結構一気に書くっていうより、コンスタントにずっとルーティン化して書く時間を設けてるんですよね。

山本:そうです。ガッて書きたいんですよ本当は。

小沢:そうなんですか。

山本:ガッて書けるときに書けたら幸せですよね。でも書けないんで、日を置いて書いて日を置いて書いてってやってたら、過去の自分に書いてたものがすごくしょうもなく思えてきて、書き直して、みたいなことをしながらですよね。

小沢:今回早くに上がってて、そこから改定が繰り返されたじゃないですか。書いてる側の気持ちとしてはどうなんですか?

山本:17年間やってきて、仕上がりが遅いから怒られますけど、自分の執筆のリズムは完本しても絶対に書き直すんですよ。それがわかってるから。

小沢:最初に出したやつはもう書き直す気持ちで出してるってことですね。

山本:そうそう。それができるようになったのはめっちゃ最近ですけどね。「もう絶対書き直すよ、ポン」って。「書き直すよって言ってポンて出したものはそんなに面白くないことは自分でわかってるんで。みんなに読んでもらったらみんなも「はい、読みましたけど」って。「ぱ〜」ってなるんですよ。すごいショックなんですよ、「俺はこの初読みのために書いたんだけど」って。
山本の心:「ぱ〜」とは。)

小沢:なんか、最終的に良くなるものほど一発目の反応は鈍くないですか?

山本:鈍い、めっちゃ鈍い。『セミの空の空』最後までみんな鈍かったから。僕も若旦那さんに「OMS戯曲賞出す?」って言われて「いいですけど」って「なんか今回最終候補にすら残らない気がするからもうなんでもいいです」って若旦那さんに託したら「最終候補に残ったよ」って、でもそれまでも最終候補には残ってて、ありがたいことに佳作をいただいたこともあったんですけど、今回はもう無理だなって。そしたら大賞をとったんでね、わかんないです。

小沢:わかんないですよね。

山本:いや、でも今回も厳しい気がするな。

小沢:でも今回の『おかえりなさせませんなさい』はアイホールでやる意味っていうのがやっぱ強いじゃないですか。

山本:いやでもそれはちょっとそうだな。なんか、これは制作的な話なんですけど、もうお客さんに最初に言っちゃってもいいかもしれないですよね、前説するときとかに、今日これで僕たちはアイホールでやる最後の公演ですからって。皆さんは観劇後にこの街を歩きますか、演劇を弾いたこの街を!って。
山本の心:爆弾発言注意。伊丹を恨んでいるわけではないですよ。でもやり切れないなあ。)

演劇の必要性

山本:「演劇は必要ないかもしれないよ」「演劇はいらないよ」「そんなことより減税しようよ」って。でもちょっとおもろいですよね。なんで演劇やってるんだろうって思いながら演劇やるのも。なんで生きてんだろって言われたら困っちゃうし、そこには向き合いたくないので、僕はなんで演劇やってるんだろうくらいに向き合っておきたい。そのまま起こってる現象を言えば、演劇は必要ないって言われちゃってるわけだから、他にもっと有用なものもあるんだろうと言われてるんだから。

小沢:平田オリザの『東京ノート』をコロナ禍直前に吉祥寺シアターに観に行ったんですよ。アフタートークで、「演劇なんかやってる場合じゃない、みたいなのがかつてあったけど、いま同じことが起ころうとしてますね」って。そしたらコロナ禍でほんまに同じことになって。

山本:今また同じことが起きますよね。すごく近いところに戦争が起きてて。
(菅本注:世界大戦中でいうと、演劇も他の芸術と同様にプロパガンダ的に用いられてしまったみたいな過去もありますよね…)

小沢:でもなんやかんや古代からなくなってないじゃないですか。

山本:そう、やるんですよ。

小沢:地下で、シェルターに隠れながらやってるとか。なんでしょうね。要らん要らんって言われ続けてるのに、なぜ完全に途絶えないんだろうっていうのは思いますね。

山本:いや、ほんまにそう。なんだかんだで続いてるのが演劇。人の身体とか社会構造の中には演劇というものが、なんかうまいこと組み込まれてるかもしれないですよね。あ、そう、なんか30年ぐらい前のひとがそんなことを言ってました。
 論語の「四十にして惑わず」に面白い解釈があって、あれは「40歳になったらもう迷わない」みたいな話なんですけど「惑うっていうのは後世の人がつけた漢字だ」って言ってる人がいて、「孔子の時代まだ”心”っていう漢字ができてないので」って「惑うじゃないのなら、そこに当てはまるものは何だろう、国っていう漢字のもとになったものじゃないか」みたいな。国っていうのは囲ってるんですよ。そうしたら「四十にして惑わず」っていうのは「40歳になって俺囲ってんなって思ってるでしょ」「それを解き放っていかなきゃ駄目だぞ」みたいなことを孔子は言ってるんじゃないの、みたいな。って考えたら、まだこの人新しいことやろうとしてんだって。孔子の頃の「四十」で今の60歳ぐらいだから、そう思ったら全く違う意味になるじゃないですか。

小沢:むしろ迷ってますもんね。

山本:そう、何しようかなって。言葉ってすごい面白くて、どんな言葉でも、いろんな受け取り方があって、本当にその人の受け取り方次第みたいなことがあるから、だから名前も肩書きも、意味に捉われずに、小さく囲わずに、最大限に活かす方法、活かす場所を模索していくっていう、あ、これ「演出コトリ会議」の話に戻ってきました。結構な紆余曲折を経てインタビューになりましたね。だから楽しんでくださいね。お客さんにもメッセージを残せましたね。

あなたにとってコトリ会議とは?

小沢:最後に、あなたにとってコトリ会議とは?

山本:居場所でもあるし、赤ちゃんでもあるし。「俺が育ってきたんだから何か返しやがれこのやろう」とも思うし、「みんなのおかげでここまで出来ました、ありがとう」もあるし。コトリ会議はコトリ会議です。

小沢:ありがとうございます。

[左] 山本正典  [右] 小沢佑太

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小沢佑太|劇団CLOUD9
最後まで読んでくださってありがとうございます♪ 現在は日々の気づきを毎日綴っています。 2022年に劇団を立ち上げ、その運営を行う中での気づきや成長日記にすることを目指しています。 もしよろしければ、今後の活動をサポートしていただければ幸いです☺️