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【沼倉佑亮さん】「学生時に起業!挫折から掴んだ大学生の特権」
Ichinosai*マネージャーの沼倉さんにインタビューを行いました!
学生時代から様々な活動をし、現在は湯沢市と東京の二拠点で事業を行っている沼倉さん。これまでの経験、現在の事業内容、これからの展開をお話を伺いました。
沼倉さんの魅力をたっぷりお伝えするべく、2回に分けてお届けします!今回は沼倉さんの学生時代をクローズアップしてお送りします。
*Ichinosai・・・沼倉さんが所属する有限会社ぬまくらの中の事業部
【挫折の連続だった高校生活】
高校生は挫折の連続でした。自分自身の変化を求めて入った高校だったのですが、通学や部活との両立、成績不振に苦しみました。
そして一番の挫折が大学全落ちです。それでも大学に行きたいという思いが強かったので、東京で一人暮らしの浪人生活を1年経験し、大学に合格することができました。
【ハタモクとの出会い】
高校時代からの苦い経験があったにも関わらず、1年生の半年間は毎日遊びに行く生活を送ってしまいました。
ただ、その年の正月に自分自身を振り返り、これでは大学に入った意味を見失うという危機感を抱き、行動しようと決心しました。そこでたまたま出会ったのがハタモク*でした。その時ハタモクは団体が出来たばかりの頃で、そこでは、自分の親と親せき以外の大人に自分の夢とか考えを話すことが、非常に面白いと感じました。気づいたらハタモクの立ち上げメンバーに入っていて、最終的には代表を務めました。ハタモクでは関わる人が多かったので、どういう風にしたら人は賛同してくれるかという学びを得ることができました。
ハタモク*・・・「就活前の学生」と「第一線で活躍する社会人」が、立場や年齢を超えて「何のために働くのか」を気楽に真剣に語り合う場
【起業の理由は「自分でビジネスをしてみたかった」から】
実はハタモクの活動と同時並行で、学生起業しました。学生起業をした一番の理由はアルバイトをしたくなかったからなんです。
大概の大学生は、両親からお金を払ってもらい大学生という時間の権利をもらっているわけなんですが、私はその権利をほかの企業のために使うことは、私の選ぶべき道ではないなと思いました。だからアルバイトはせず、自分の力でやってみようと考えました。
また、ある友人との出会いももう一つの理由になりました。
私と同い年のその友人は大学に行かず、自分で商売をやっていました。彼と話しているとき、私はこうなりたい、こういう風にしたい、など夢の話しかできなかったんですが、彼は実際の事業内容や、今すべきことと未来のビジョンという、具体的な話をするんですよ。そこで、同い年にも関わらず実際に事業を行っている人を目の当たりにして、大きな影響を受けました。この人が実践しているのだから自分もやらなければならない、そしてやるなら早いに越したことはないと思い起業を決意しました。
【1か月半の飛び込み営業。しかし受注ゼロ】
具体的な事業としては、実家がトップスクリーンというTシャツなどの衣類へのプリント加工の受託事業を行っていたので、私はその事業の営業活動を社長に無断で、Ichinosai東京と名乗って始めました。
しばらくはひとつも案件が取れませんでした。1か月半ぐらい営業活動をして、あきらめかけたときにやっと依頼が一件入ってきました。ただ、受注したものの、加工、生産する方法がありません。そこで、初めて実家(社長)に電話して、加工・生産をお願いしました。同時に、Ichinosai東京の存在も正式に認めてもらいました。
起業し始めのときは不安や恐れといった感情がマヒしてたんでしょうね。アポなし飛び込み営業や紹介で、仕事をとりにいっていました。 今でも思い出すのが、青山に骨董通りの貸しオフィスのような場所で、T-シャツのプリントをプレゼンする会を開催させてもらったことがあります。1回目はある団体さんと共同でやらせてもらって、10人ぐらいの方にお越しいただきました。そのことに手ごたえを感じ、2回目は単独で同じような形式で行ってみたら0だったんですよ。
朝その会場に行ったら誰もいなくて…帰りにスターバックスでしょんぼりした記憶があります。(笑)
学生時の様子(Facebookより)
【それでも洋服の仕事がしたい。バンタンデザイン、繊維メーカーで企画営業職へ】
卒業まであと1年、就職活動の時期になりました。私も受けている企業はいくつかありましたがいまいちピンと来なかったのです。その中でやはり洋服の仕事がしたいという思いはありました。
しかしIchinosai東京の仕事をしながらお客様に対してに洋服に関しての自信がなくなってしまうことがありました。そのためきちんと洋服の業界の世界で一度勉強しようと思い、バンタンデザイン研究所に入り直しました。
卒業後、就職先を決めていく上で、私は洋服に関わる仕事の中でも特にモノづくりという視点で選び、大手繊維メーカーを選びました。
繊維メーカーは、モノづくりの一歩目を感じられる魅力を持ち、さらには、自らが考えた生地をデザイナーや企画の方々に直接提案をする仕事でした。
その仕事で出来上がったものが、店頭に衣服として並ぶ姿を制作者として見ることにやりがいを感じました。
大手に入って数百億が動く世界で働くことで高いレベルというものが実感でき、仕事も先輩同期にも恵まれました。
しかし学生起業家を経験している私は、この充実した環境では満足できず、自分にしかできないことがあるはずではないかと、疑問を持つようになっていきました。そのような疑問を持ったまま続けるよりももっとふさわしい人が仕事をするべきだと判断し、覚悟を決めた私は上司を説得してUターンすることを決意しました。
Ichinosai東京を1年半継続してきて、次の起爆剤が必要だというタイミングが重なったことも要因だったと思います。
【編集後記】
今回は沼倉さんの学生時代を中心にお送りしました。大学生生活には誘惑が多い中、沼倉さんが自分に何が必要なのか、求められているのかをきちんと理解し、実行に移していける行動力をもつことができたのは、挫折した苦しい経験があったからこそのものだったと感じました。次回は沼倉さんの現在、そして未来の展望をお伝えします。「人がいる限り我々の業界は求められ続ける」沼倉さんは語ります。その真意とは…?ご期待ください!