私と音楽の話
はじめに
今日は、私と音楽の話をしようと思います。自分の人生についても語っているのでちょっと恥ずかしいですが、読んでいただけたら嬉しいです。
音楽との出会い
私が音楽を自主的に聴き始めたのは、中学一年生の冬。
ウォークマンを買ってもらって、そのウォークマンにスピッツのシングル集を入れて聴くようになったことがすべての始まりでした。
狂ったようにスピッツを聴いて、音楽雑誌を買ったりラジオを聴いたりするようになり、次第に他のバンドにも興味を持つようになりました。
今でも大好きな、andymoriや東京事変、フジファブリックなどを好きになったのも中学生の頃です。今思うとなかなか渋い中学生だなと思いますが、当時の私は、ただ良いと思う音楽、心惹かれる音楽を貪欲に追求しているのみでした。
生きがいになった音楽
高校生になると、学校が全く楽しくない毎日が続きました。もともと中学生の頃から不穏な空気はありましたが、高校に入るとより、人間関係がうまくいかなくなってしまったのです。
音楽はそんな生活の中で、私の生きがいでした。死にたいと思ったことは何度かありましたが、好きなバンドの新譜を聴きたいからもう少し生きよう、と考えて踏みとどまった記憶があります。
この頃、もっと多くの音楽を知りたい、と思っていた私は、好きなバンドのルーツを辿るようになったり、ジャンルにこだわらず様々な音楽に手を出したりしていました。
そんなとき出会って好きになったのが、NUMBER GIRLやスーパーカー、小沢健二、でんぱ組.inc、ミツメ、シャムキャッツ、奥田民生などなど。
もう解散しているバンドもいて、もうライブに行けないんだ、新譜を聴くこともできないんだと考えると、本気で悔しかった覚えがあります。
音楽を共有する
そんな高校時代も過ぎて、大学に進学しました。
夢だった軽音学部に入部して、そのときはじめて人と音楽の話をしました。
これまでは、スピッツが好きですと言っても、渋いね、と言われるだけでしたし、ナンバガが好き、なんて言っても誰も分かってくれませんでした。
でも軽音楽部には、好きな音楽を共有できる人がたくさんいました。
音楽の話をすることだけでなく、バンドを組んで曲を演奏すること、同じ曲で盛り上がること、おすすめの曲やバンドを紹介し合うこと、どれもが新鮮で楽しかった。
そこではじめて、大袈裟ですが、生きていてよかったと思いました。高校時代は毎日毎日憂鬱な気分で過ごしていましたが、あの日々がなければきっと、こんな風に音楽を楽しむことはなかったでしょう。
過去の私を救った音楽
大学4年生のとき、印象的な出来事がありました。
それは、2019年に報じられた衝撃のニュース・・・
そうです、NUMBER GIRLの再結成です。
私は驚いて驚いて、数日は信じることが出来ませんでした。軽音学部のみんなも騒然としていたのを覚えています。
夢にまで見たNUMBER GIRLの再結成、そしてライブ、かなり興奮しました。倍率が何倍だったのかは分かりませんが、奇跡的にチケットが当たったときは、手を挙げて喜びました。
ライブ当日。会場には知った顔が何人かありました。みんないつもよりテンションが高かった気がします。
そしてついにその瞬間。4人が舞台に登場しました。
向井が、アヒトが、田渕ひさ子が、中尾憲太郎が、いるんです。
画面越しじゃなく、本物の4人が、4人そろって舞台に立っているんです。
そのときなぜか、自分が会場にいるはずなのにそこにいない感じがしました。一音目が鳴って一曲目がスタートしてからも、呆然と突っ立っている自分がいました。
気付いたら、少しだけ泣いていました。
部屋にこもって聴いていたNUMBER GIRL、小さな画面越しにしかライブ映像を見ることができなかったNUMBER GIRL、寒い日の帰り道、一人歩きながら聴いていたNUMBER GIRLが、今目の前にいます。
あのときの自分に、「お前は何年後かに生のナンバガを見るぞ!」と伝えてあげたくなりました。あのとき死ななくてよかった。私に音楽があってよかった。心からそう思うことができました。
さいごに
私の人生は音楽なしでは語れません。
私は言いたいです。音楽、ありがとう。
暗い過去も肯定してくれて、ありがとう、と言いたいです。
これからも、音楽に助けられて生きていくと思います。
末永くよろしくお願いします。