最近の話8(最近書いた絵、性欲について、私はポカリスエットとアクエリアスを飲まない、将棋、ダンベルフライ、ケーブルクロスのやり方、西村賢太と石原慎太郎の対談を見た感想、長距離という快楽、テスト勉強)
最近書いた絵
性欲について
私は性欲を自分で処理することに否定的だ。
この考えにいたったのは中学2年のとき。
きっかけはは忘れたが、性欲をコントロールすることに決め300日ほど禁欲した。
性欲を自分で処理するのが良くないと思う理由は性欲は他のエネルギーに代替できるから。
性欲は食事、睡眠と違い、なくなっても死なない。例えば、目の前のタスクに集中していたら当分、性的行為を行なっていなかったなんて経験は誰しもある。
保健の教科書でも習ったが性エネルギーを他のことに注いで発散することを昇華という。
そもそも一人で性欲を発散するのは時間的にコストと活力を消費するくせに、何も得るものがない(sexはコミュニケーションなので別)。
あとタンパク質、亜鉛といったきんにく、肌、爪、髪を作るのに大切な栄養素が大量に失われる。
多くの人は慣れすぎてこのコストを軽視しているが俺はもっと重視すべきだと思う。だって生命を作る行為だぜ。
生物として最重要事項である生殖を行う行為にはとんでもないコストがかかるのは当然に思えるのだ。
性欲をコントロールし、何か他のことに使った方がよっぽど人生は充実すると思う。
私はポカリスエットとアクエリアスを飲まない
私はポカリスエットとアクエリアスを飲まない。
いや飲みたくても飲めない。
口が臭くなるからだ。
これに気付いたのは小学校5年生の頃。
同じクラスで仲良くなった男の子Tと話していて、たまたま距離が近くなった時に
「くっさっ!口うんこやん」
と言われたことがきっかけだ。
それ以来、陸上の合宿で30キロ走った時以外、自主的に飲むことはなかった。
このようなきっかけがあり飲まなくなったことは忘れていた。
人間はこうやっていろんな行動をやめておこうと修正するから、年取るごとに丸くなっていくのもあるやろな。
もちろん良い面も大きいよ。
将棋
第5回将棋Abemaトーナメント見てて勉強になる手があった。
藤井猛9段四間飛車における手。
7ニに飛車がいる時に7三に歩を打つ筋だ。
桂馬で取られれば、8三角で次に7四角となれる。飛車で取られれば8ニに角を打つことで9一に角がなれるのだ。
ダンベルフライ、ケーブルクロスのやり方
ダンベルフライ
・肘は直角より開く。そうすることでベンチプレスよりも可動域が広がるので効く
・わきも90度に開くと可動域が狭まる。ベンチと同じ位置でやるべし
ケーブルクロス
・高さはケーブルと腕が直線上に来るくらいがいい。
・最後肘を伸ばし切る。ここで収縮させるべし。
総じて可動域を広くしストレッチを効かせることが重要。
日本一位みたいな格上の人から学べる環境がすごすぎ。感謝である。
西村賢太と石原慎太郎の対談を見た感想
西村賢太はこの前感想に書いた「どうで死ぬ身の人踊り」の著者だ。
その中で印象的だったのが貧乏の話。
石原慎太郎が誰かと話したときにこんな話になったという。
「大学紛争とか生産性ないことなんでやってんのかね」
「俺は若い奴に同情するよ」
「なぜ?」
「俺たちが青春を奪ったから」
「?」
「今は戦争がないってことさ。生きるか死ぬかと、貧困と、強い思想がないんだ。」
これはテラクと話してたことと通ずる。なんで今の若者は悟り世代なんて言われるのか。
豊かになったからだという話をした。
まさにだ。豊かになることで、生きることへの切迫感を失ったのだ。
とはいえ心の持ちようでどうにかしようとしても限界があるだろう。じゃあ貧乏になれと言われてもなんだか違う気がする。
結局、違う生き方をするしかないと思う。豊かな時代における強みを活かした生き方だ。
例えば自分のワクワクという気持ちを最上位に置いて生きていくというのも一つだろう。
これも飢えて死ぬことがなくなったからできる生き方だから。
長距離という快楽
テスト期間前ではあるが、この2日間万博の外周(5キロ)を走っている。
なぜ走るのか。
これは大会が10月31日にあるという事実に因るものであるが、それだけではない。
走ることが快楽だからだ。
テスト期間の休みたい欲求を理性で抑え、やらなければならないことをやる単調気味な毎日に刺激的な快楽が欲しくなる。
そんな時、走りたいと思うのだ。
一人SMプレイとでもいおうか。
体が走るのをやめてくれと危険信号を送ってくるのに逆らい走り続ける。そうすると脳内から麻薬的な快楽物質が出てくる。
この人間の本能に近い部分を走ることは刺激してくれる。
このような理由もあり、より走ることが楽しくなってきている。
テスト勉強
日本経済論
●フィリップス曲線
縦軸にインフレ率、横軸に失業率を取り短期ではインフレ率と失業率がトレードオフであることを示す。
つまりインフレ率が上がれば失業率が下がり、インフレ率が下がれば失業率が上がるということ。
●日銀の金融政策
1.公開市場操作
・売りオペレーション(金融引き締め・利子率)
日銀が民間銀行に国債を売り貨幣流通量を減らす。
・買いオペレーション(金融引き締め・利子率)
日銀が民間銀行から国債を買い貨幣流通量を増やす。
2預金準備率の変更
預金準備率とは預金した際に日銀に預ける分のお金の割合のこと。預金準備率を引き下げると投資に使えるお金が増えるので、金融緩和になる
3公定歩合の変更
公定歩合とは日銀が民間銀行にお金を貸し付ける際の金利の基準のこと。公定歩合を引き下げればお金を借りやすくなるので、投資に使えるお金が増え金融緩和になる。
●1990年代から日本が長期経済停滞に陥った原因を説明せよ
1990年代から日本が長期経済停滞に陥った原因としてバブル崩壊後の不況の、アジア通貨危機、不良債権問題があげられる。
一つ目のバブル崩壊後の不況について説明する。1990年代初めのバブル崩壊により銀行は不良債権を抱えることになる。銀行は長年の関係がある企業に対し債務期限を引き延ばす対応をとった。そのため銀行の資産に対する負債の比率が高まり、新規の貸付を抑制することになる。
また企業は不良債権を利潤で補うことになる。そのため投資抑制が起きた。
貸しての銀行、借り手の企業の両面から投資が抑制されることになったのだ。
一方、政府は公共事業費増加で対応をとる。これは景気の底支えにはある程度貢献したものの、底生産性の建設業へ資本と労働を移動させることになった。
次にアジア通貨危機について説明する。1997年に日本はGDPがマイナス成長となる。この要因としては国内で消費税率と厚生年金保険料が上がったことがある。もう一つの要因はアジア通貨危機だ。アジアの新規の設備投資が抑制されることになった。
最後に不良債権問題について説明する。不良債権問題はあとまわしにされてきた。具体的には追い貸しである。追い貸しとは本来市場から撤退すべき企業に追加的な融資をして延命されることだ。これにより低生産性の企業が市場に残ることになった。
これらのことから1990年代からの長期経済停滞が起こったといえる
●第一次オイルショックを克服した原因はなにか。
第四次中東戦争により原油価格が引き上げられ物価上昇、失業率上昇が起こった。
このようなオイルショックを克服した要因として国内要因と国外要因が挙げられる。
初めに国内要因について説明する。政府は物価上昇を抑えるため総需要の抑制を試みた。具体的には公定歩合の引き上げと公共事業費縮小だ。
また第一次オイルショックにやって省エネルギー型の産業構造への変化が進んだ。
さらに労働組合が企業に賃上げを要求しなかったことも大きい。
次に国外要因について説明する。ニクソンショックにより日本は固定相場制から変動相場制へ変わった。その結果大幅な円高が進み、輸入コストが抑えられたのだ。
これらのことから第一次オイルショックを克服したといえよう。
●1990年代から日本が長期経済停滞に陥った原因を説明せよ
日本が長期経済停滞に陥った原因としてバブル崩壊後の不況、アジア通貨危機、不良債権問題がある。
はじめにバブル崩壊後の不況について説明する。まず銀行はバブル崩壊によって多額の負債を抱えることになった。しかし長年の付き合いのある企業に対して、債務期限の引き伸ばしを行い倒産を防ごうとするりこれにより銀行の資産における負債の比率が高まることで新規の貸し出しが抑制されることになった。
また企業は負債を利潤で賄う必要がある。そのため投資抑制が起きやすくなった。
このように貸しての銀行と借り手の企業の両面から新規投資が抑制されることになったのだ。
一方、政府はバブル崩壊後のたいさくとして公共事業費を増加させる。これは景気の底支えには一定程度の効果を発揮したものの、低生産性の建設業に資本と労働が移動することになった。
次にアジア通貨危機について説明する。1997年日本はGDPがマイナス成長となる。その要因の一つは消費税率と厚生年金保険料の引き上げ。もう一つの要因はアジア通貨危機である。これにより東アジアへの輸出が減り設備投資が抑制されることになった。
最後に不良債権問題について解説する。銀行は不良債権を先送りにしていた。具体的には追い貸しを行った。追い貸しとは本来市場から撤退すべき企業に追加的に融資をして延命させることである。これにより低生産性の企業が市場に残ることになった。
このような要因から日本は長期経済停滞にいたった。
●第一次オイルショックを克服した要因を説明せよ。
第四次中東戦争による石油価格の上昇で日本の物価と失業率は上昇し、経済成長率は低下した。
このような第一次オイルショックを克服した要因には国内要因と国外要因がある。
まず国内要因について解説する。日本は物価上昇を抑えるために総需要の抑制を試みる。具体的には公定歩合の引き上げと公共事業費圧縮である。
また第一次オイルショックにより省エネルギー型の産業構造に変化したこと、労働組合が企業に対して賃上げを要求しなかったことも大きい。
次に海外要因について説明する。日本はニクションショックにより固定相場制から変動相場制へ移行した。これにより大幅な円高が進み、輸入コストが抑制されることになった。
これらの要因から第一次オイルショックを克服したといえる。
●テスト後の感想
この授業は、一番前の席に座り、1人残って質問をするという積極性を持って受けてた授業。
全ての問題で完璧に答えたので100点不可避。
答案用紙提出したときに「よーがんばったな」と最愛の子供に話しかけるお父さんのような甘い声で言われた。
第二の父の誕生である。
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